2024年11月21日(木)

勝負の分かれ目

2022年3月8日

 一方、長州氏はミュンヘン五輪代表として名を馳せたアマレス界のエリートとして猪木氏から直々にスカウトされた唯一無二の存在であり、入団後は「かませ犬」発言から藤波との名勝負数え唄、維新軍結成などでスターダムへと伸し上がった。藤原は長きにわたる前座時代から猪木氏に目をかけられてスパーリングパートナーを務め、入場時に襲い大流血に追い込んだ長州襲撃事件でブレイクして以降、UWFに参加し〝関節技の鬼〟の異名を持つトップレスラーとして時代を築いた。

 前田氏は猪木氏の付き人を経て欧州遠征で成長のステップを踏み、第一次UWF参加から新日本へUターンし古巣と激闘を繰り広げた後、社会現象ともなった第二次UWFブームを巻き起こし、プロデューサーとしても後に旗揚げしたリングスやアウトサイダーなどで現在プロスポーツとして定着している総合格闘技界において活躍する有名選手を数多く発掘および育成している。佐山氏も猪木氏に早くから才能を見出され、初代タイガーマスクとして日本中の子どもたちの人気者になるほどの活躍で名を残した後、第一次UWFへ参加し、離脱して以降も総合格闘技の礎となるシューティング(現修斗)を創設するなどプロレス、格闘技界の両面で功績を残した。 

ぶつかり合いながらもつながり続ける

 こうして猪木イズムに触れ、感化されてきたOBたちは、ここまで必ずしも一枚岩だったわけではない。前田氏の長州氏に対する〝顔面襲撃事件〟、第一次UWFにおける佐山氏と前田氏の対立、佐山氏の暴露本『ケーフェイ』発刊によるプロレス界批判など、いわゆるアングルも抜きにした確執や簡単には埋まらぬと思われた深いミゾが生じながらも、今回の古巣セレモニーで当人たちは過去のイザコザを消去するかのように一同、花を添えていた。

 ある意味でリングの闘いも人生も同じであり、個々の思想や考え方の違いによってぶつかり合うことは必然の流れである――。このように説いていた猪木氏は常にリング上に緊張感と殺伐した雰囲気を追い求め、モハメド・アリとの世紀の一戦に端を発した異種格闘技路線や主に日本人同士の軍団抗争など斬新なアイデアを次々と投入していき、それが新日本の目指す「ストロングスタイル」と「KING OF SPORTS」のモットーを作り上げる原点へとつながっていった。弟子たちも当然のように、そんな師匠・猪木氏の姿勢を傍で見続け、大きな影響を受けている。

アントニオ猪木とモハメド・アリによる〝世紀の一戦〟(1976年6月、木村盛綱/アフロ)

 東京プロレスの旗揚げから短期崩壊、日本プロレスではクーデター事件の首謀者として扱われた挙句に追放され、資金もない状況から新日本プロレスを苦難の末に創立――。こうした数々の辛苦や複雑な人間関係に何度もさいなまれている猪木氏であるからこそ、その弟子たちも互いにイデオロギーをぶつけ合い、仲違いするのもおそらく許容の範囲内のことと解釈しているに違いない。


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