ちなみにTorそのものは犯罪を助長するサービスを意図したものではなく、ネット上のプライバシー問題を解決するためにも用いられるものである(遠隔操作ウイルスとTorの基本的な技術説明については以下を参照のこと→http://www.paloaltonetworks.jp/news/researchcenter/2012-10-remote-operation-malwares.html)。
今回逮捕された片山容疑者にしても、直接の手がかりは江ノ島に映ったとされる防犯カメラの映像だったように、インターネット上に残された手がかりだけでは、捜査はより難航していただろう。もちろんカメラの映像そのものに対しても、首輪をつけた映像が残っているのか現時点で発表がないことから、これも直接的な証拠にはならないと思われる(その他今回の捜査に関する疑問については、上述の江川紹子氏の記事が参考になる)。
いずれにせよ事件の手順をみれば、今回のような事件が個人ないし少人数でも可能であることがわかる。この事実は、同時に常に不特定多数の人々が、インターネット空間において免罪事件に巻き込まれる不安を喚起する。
警察は社会システムを守るために法を逸脱してまで権力を行使する一方、犯人もまた他者の望まない行為を強制させることで権力を行使する。警察の尋問に見られる過剰な権力の行使が統治権力への批判を呼ぶ一方、遠隔操作ウイルスのように不特定多数を狙った事件は、それだけで社会不安を呼び起こす。
サイバー空間における権力
遠隔操作事件を通してわかったこと。それは、サイバー空間においては、技術や知恵、アイデアさえあれば、個人ないし少人数であっても、社会的インパクトのある事件を引き起こし得るということである。そのインパクトが大きければ大きなほど、過剰な権力が人々を不安に陥れる。
だが、そうした過剰とも呼べる権力が社会的に支持されるものであればどうか。賛否両論はあるものの、反権力や社会的公正を掲げ、少人数から成る組織で世界の不正を告発したリークサイトの「ウィキリークス」がそれに該当する。統治権力が過剰であることに対し、情報技術を駆使することでそれに抵抗する権力。それはまた過剰な権力を生む一方で、支持の声を集める権力であることも事実だ。我々はこれをどのように捉えればいいのだろうか。
次回はサイバー空間の特性を利用し、市民の側から巨大な権力を批判する、反権力の問題を考察する。
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