東日本大震災による津波で、町の8割が壊滅的な打撃を受けた宮城県女川町は現在、40万トンに達した瓦礫の撤去がようやく終盤を迎えている。
荒涼とした空き地が広がり、大型ダンプが砂煙を上げて行き交う。そこにかつて町が存在したのがうそのような光景だが、海岸部には3階建てのビルがひっくり返ったまま放置され、町の人口約1万人のうち1割を奪った大惨事を改めて思い起こさせる。
その女川町の沿岸部の中でも、もっとも山際に近い清水地区の町営住宅跡地に昨年12月、青や緑、赤色のカラフルなコテージ風の建物が次々と出現した。その数は30棟。正確にいえば「建物」ではない。コテージ風の建物の下には牽引用の車輪がついている。これらは可動型のトレーラーハウスなのだ。
30棟のトレーラーハウスを集めた宿泊村「El faro(エルファロ)」は町内にかつてあった4つの旅館「奈々美や旅館」「にこにこ荘」「星光館」「鹿又屋」の経営者たちが協同組合を設立して昨年12月27日に村開きをした。なぜトレーラーハウスなのか。それが復興へ一歩あゆみ出すためのカギだ。
女川町宿泊村協同組合理事長の佐々木里子さん(44)は、両親と経営していた「奈々美や旅館」を流された。77歳の父を失い、74歳の母も行方不明のままだ。震災後約半年の間は悲嘆に暮れ、再起できる状況ではなかった。
前女川町旅館組合長の鈴木哲也さん(46)によると、震災前、女川町にあった12の旅館は、町が積極的に誘致してきたスポーツ大会の来場者や、女川原子力発電所の作業員などを主な顧客として平均70~80%の稼働率があった。震災でそのうち8軒が全壊し、3軒は廃業となった。自力再建を決めた鈴木さんの「鈴家旅館」のほか、再建するか否か態度を決めかねていたのが佐々木さんら4軒の旅館主だった。
震災後、膨大な瓦礫の処理と復興のために建設会社や土木作業員が町に出入りしていたが、ネックとなったのが宿泊場所の欠如だ。女川町は仙台市から車で約2時間。最も近い石巻市からも30分以上かかる。佐々木さんは「私たちが宿泊施設を再建できれば町の復興はもっと早くできるのにという気持ちに駆られるようになった」という。