2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2012年10月19日

 東日本大震災による福島原発の事故をキッカケに、それまで以上にエネルギー問題は脚光を浴びることになった。事故以前より、原発立地地域をフィールドワークしながら、歴史を掘り返し、戦後社会論を書き続けてきた社会学者がいる。開沼博氏だ。

 震災前に書き上げた『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)が昨年反響を呼び、その後さまざまな媒体や議論の場に参加した。その激動の1年のなかで書き綴った評論やエッセー、対談をまとめたのが『フクシマの正義 日本の「変わらなさ」との闘い』(幻冬舎)だ。今回、開沼氏には「原発調査のキッカケ」「ローカルな正義」を中心に話を聞いた。

―――躍脚光を浴びた『「フクシマ」論』のもとになった原発の調査をはじめたのは2006年ということですが、それはどんな意識からだったのでしょうか?

開沼博氏(以下開沼氏):新聞やテレビで「こんなに悪いことがある。変わらなければいけない」と言われ続けている問題が「なぜいつまでも変わらないのか」という疑問がありました。

 たとえば、沖縄の米軍基地問題も、報道を見ている限り「こんなに騒音がひどい」「こんなに反対している人がいる」という意見が多いように見える。しかし、実際に選挙を行うと反対派と推進派が拮抗していたり、推進派寄りの候補が勝つことが多い。

 もともと私は反戦や反貧困と言ったリベラルな思想に共感的でした。だから原発の研究を震災前からしていたし、今も、基本的にはそうです。しかし、「リベラル」や「良識派」を自称しながら、例えば「世界平和の実現」や「社会的弱者の救済」を志向する主張をする人々が、多くの場合無意識的に、時には意識的にすら、その「変えられるべき」とされる状況の温存に加担している現実を見るにつけ、既存の「リベラル」「良識派」的なる言説の抱える課題の大きさも感じています。

 例えば、原発事故関係で分かりやすいところで言えば、“話を盛りすぎ”なところ。「実は、子どもが死にまくっている」とか「いまも福島に住み続けているやつはおかしい」とか「除染は政府とゼネコンの利権でしかないからやめてしまえ」とか、たしかにそういう部分、可能性はあるのかもしれないが、一側面を拡大しすぎのように感じます。原子力政策、エネルギー政策についての見解もニワカ知識だから何時まで経っても噛み合わない。ことはそんなに単純ではない。


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