昨今、「推し活」という文化が隆盛している。「推し」といわれる、自らの好むキャラクターを熱心に応援することを指しており、アイドルからアニメのキャラ、俳優、芸人、スポーツ選手まで対象は幅広い。
2030年には、推し活を楽しむ人々は人口の3分の1まで高まるといわれており、推し活の隆盛とその背景を理解することは、現代人にマーケティングするための必須の教養である。今回はこの文化について考えたい。
「推し活」をする人々の実態
「推し活」と、従来の「オタク」「萌え」との違いの一つに、女性がブームの主体になっていることが挙げられる。例えば、『推しが武道館行ってくれたら死ぬ』(平尾アウリ、徳間書店)というマンガがある。
アニメ化も果たした人気作品であり、そのタイトルはまさにファンが推しにかける思いの強さを表しているが、同作の主人公も女性なのだ。マイナーな地下アイドル・舞菜を応援する主人公の「えりぴよ」は、自分の推しを応援することに人生を捧げている。
推しを応援するために日々働き、常に自分のことよりも推しの成功や幸せについて考え、それが生活の中心であり生きる糧となっているのだ。推し活をしている人は濃淡の差はあれど、推しが成功したら死んでもいいと思えるくらいの熱量を、それぞれの推しに注いでいる。そのリアルな感情を描いているのが、今作が話題となった理由だ。
ではなぜ、そこまで熱心に応援するのか。それは一つは役割からの解放を望む、社会への小さな反抗心。もう一つはコミュニケーションと社会への参画意欲の表れだと考える。
「えりぴよ」は推しのグッズを購入するため、前日から徹夜で会場に並んだり、推しとチェキを撮るためにCDを大量に購入したりする。これは現実の推し活の現場でも日常的に行われるそうだが、推し活をしていない人からすると奇妙に、かつ無駄だと感じられる行為だろう。
無駄なことにこそ熱量を注ぐ、「社会への小さな反抗」
まさにそこにポイントがある。一般的には無駄だと思われることに、全身全霊の熱量を注ぐこと。これは一種の、誰もが気軽に実行できる「社会への小さな反抗」なのだ。
社会進出が進む一方、女性たちは未だ社会に根強く残る「女性のあるべき姿」、役割の圧力に苦しめられることもあるだろう。恋愛、結婚をするべき、そのために美しくあるべき、等々。しかし、推しを応援するという行為は誰かから求められてすることではなく、完全に自分の意志を反映しているのだ。歴史的に役割に縛り付けられることが多かった女性たちは、何物でもない自分、「社会に期待されていないこと」を完全なる自分の意志で行う推し活に魅力を感じ、全身全霊をささげるのかもしれない。