2023年1月30日(月)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年5月22日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

 例として、スーパーで買い忘れをする確率を計算してみよう。年に300回買い物に行くのだが、物忘れがひどく、3分の1の100回は買い忘れがある高齢者がいたとしよう。対策としてスーパーから家に電話で確認すればいいのだが、3回に1回は携帯を家に置き忘れる。すると買い忘れは100×1/3で33回に減り、電話1回30円とすると費用は年間6000円になる。

 多少面倒でも買い物メモを作ればいいのだが、3回に1回はメモを家に忘れる。買い忘れは電話と同じ33回に減る。メモの費用を10円とすると年間3000円だ。

 メモを忘れた100回は家に電話すればいいのだが、この時も3回に1回は携帯を忘れるので、67回になる。メモと電話で買い忘れは100×1/3×1/3=11回に減る。電話代は2000円なので、メモと合わせて5000円だ。

 次はリスク最適化だが、そのためには買い忘れの不便や精神的なイライラなどを金額に換算する必要がある。もし1回の買い忘れの損害を50円とすれば年間100回の買い忘れで合計5000円、損害を200円とすれば合計2万円になる。

 損害額と対策費を比べて、最も利益が大きい対策がリスク最適化になるのだが、表に示すように、損害を50円とすればメモだけ、200円とするとメモと電話の組み合わせが最も利益が大きい。このように経費と損害の想定で結果は変わるので、ご自分の想定で計算してほしい。

予想できない危機は対策できない

 このように計算するとリスク評価は簡単に見えるが、実際に未来を予測するは極めて難しい。物忘れは次第にひどくなるかもしれないし、治療で少なくなるかもしれない。そんな未来を確実に予測できるのは神様だけだ。

 米ラムズフェルド元国防長官は記者会見で、イラク政府が大量破壊兵器を持っていなかったではないかと政府の予測の間違いを質問されて次のように答えた。「ご存知のように、既知の認識、つまり知っていると気づいている場合がある。われわれが知らない何かがあるという未知の認識もある。知らないことに気づいていない未知の未認識もある」難解な表現だが、これは記者を煙に巻く答えではなく、リスクを考えるうえで重要な分類だ。

 意訳すると、私たちは「知っていること」、「知らないこと」、そして「予想もできないこと」があるということになるだろう。「買い忘れ」は「知っている」リスクだから計算できた。「知らないこと」とは、クリミア半島を併合したときからロシアが領土拡大の野望を持つことをウクライナ政府はよく知っていたけれど、まさか戦争を仕掛けるとは思っていなかったという例だ。


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