この発動には細々とした条件が付されている。何とでも読めそうにも思えるが、欧州連合(EU)の復興基金の資金の利用のために約束した改革が履行されていることにも言及があるので、改革が遅滞すれば、イタリア国債が対象から外れる可能性も排除出来ないであろう。
イタリアは緊迫した状況に置かれている――ウクライナ戦争、ガス不足、インフレもそれである。この時期におけるドラギの失脚は最悪のタイミングである。
イタリアの特質な政治の犠牲になったドラギ
フィナンシャル・タイムズ紙のバーバーは7月23日付けの論説‘Draghi’s undesirable exit reflects time-honoured tradition in Italian politics’で、欧州中央銀行総裁として立派な働きをした優秀なテクノクラートであるドラギが、イタリア政治の中でどのようにして力を失っていったか、次のように分析する。
「彼は傑出していたが、それはほとんどのイタリアの首相とは異なり政治体制と行政に浸透している影響力の不透明なネットワークに借りがなかったがゆえである。このネットワークは政党の指導部が議会選挙に誰が立候補出来るかをコントロールすることを可能にする選挙制度によって強化されている。多くの人の政治キャリアは有権者の信頼というよりも党のボスに対する忠誠心を披瀝(ひれき)することに依存している」、「しかし、制度にはアナーキーの要素がある。どの立法府でも、議員の中にはリーダーを裏切り、陣営を替え、あるいは自身の派閥を作る者がある。これらの深く沁み込んだ癖がイタリアが次の選挙に近付くにつれ表面化し、ドラギの権力掌握は月を経るごとに弛緩することとなった」と。
結局、ドラギはイタリア政治の特質の犠牲になったということであろう。ドラギは、主要政党と対決するに至り、マッタレッラの後を襲って大統領に就任する道も失ったのかも知れない。