計量分析だから見える反英米感情が高まった時
AIを駆使した「エゴドキュメント」に加わった、計量歴史社会学者たちは、市民の言葉の分析から、太平洋戦争に突入する1940年から翌年のわずか1年で、反英米感情が高まっていることに驚きを隠さない。都市において、40年前半はアメリカブームといった状況で、ジャズが流行し、ハリウッド映画が人気を呼んでいた。
食べ物に関する言葉の分析によっても、40年が境目ともいえる。この年の前には、ビフテキ、マカロニ、ポタージュ、オムレツなどの言葉が、市民の間で頻出する。40年後半になると、配給や代用品といった言葉に頻度が奪われる。
翌年の41年ともなると、当時著名な評論家・ジャーナリストである、徳富蘇峰がラジオを通じて、対米論調で強硬な姿勢をみせる。
「米国は日本が積極的に進んでいけば、むろん衝突する。しかし、ボンヤリしていても、米国とは衝突する。早く覚悟を決めて断然たる処置をとるがよい」と。
41年2月には、ベストセラー「日米戦はば」が出版される。
「米国なお反省せず、わが国の存立と理想を脅かさんとすることあれば、断然これと戦うべし。日本は難攻不落だ」
番組は、徳富蘇峰と「日米」は、いまでいうインフルエンサーだという。その通りである。ある雑誌がアンケート調査している。日米戦について、「避けられる」が60%、「避けられない」が38%、不明が2%となっていた。
エゴドキュメントによると、日米戦に対する市民の意識は、40年から高まるが、9月から10月にかけて下がる。「言論統制」がなされたからである。
軍部指導者たちの状況判断
東条英機陸軍相の当時の言動について、側近の手記は次のように記している。40年9月に締結された、日独伊三国同盟受けた発言である。
「英米に対して、三国同盟が衝撃を与えるのは必然である。いたずらに排英米運動を行うことを禁止する」
山本五十六の三国同盟に関する、近衛文麿首相に対する発言が、「近衛文麿手記」に表れている。
「三国同盟を締結したのはいかしかたないが、日米戦を回避するよう努力願いたい」
41年7月に発足した、第2次近衛内閣も日米交渉によって、日米開戦を阻止する方針だった。
指導者たちの行動と、それをもたらした心理的な要因について、優れた手記がある。書き続けた軍務官僚の自省の念も記されているからだ。陸軍省軍務課高級課員の中佐・石井秋穂のものである。
3月18日に開かれた、「物的国力判断」、つまり日米戦争遂行能力に関する会議である。石井は記す。
「シュミレーションは、衝撃だった。誰もが対米英戦は予想以上に危険で、真にやむを得ざる場合のほか、やるべきではないとの判断に達した断言できる」
41年6月、独ソ戦が勃発する。陸軍は、石油などの物資の確保のために、南部仏印進駐をする。これに対して、米国は石油の対日禁輸措置をこうじた。
手記のなかで、石井は次のように自省を込めて書き綴っている。
「自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備えて、あらためて南部仏印に軍事基地を作るという要求が生まれつつあった」「大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは、多少の反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまい、との甘い希望的観測を抱えておった」