2024年12月4日(水)

田部康喜のTV読本

2022年8月13日

 NHKスペシャル 選「新・ドキュメント太平洋戦争『1941 開戦』」前後編は、日本の戦争を取り上げた、一連のドキュメンタリーのまとめを飾るのにふさわしい。番組は昨年12月の再放送である。この「選」は、いかにして日本の指導者が米英との戦争に突き進んでいったのか、どうして市民は開戦に高揚したかをAIの技術を活用して迫る。

軍部の台頭著しかった太平洋戦争前の日本で、指導者や市民は何を語っていたのか(MeijiShowa/アフロ)

 指導者や市民の日記や文献など12万件、630万語をAIによる分析にかけている。「開戦」までの過程と、指導者や市民の感情は文献調査やオーラル・ヒストリーでは、このような大量の分析は難しい。しかも、「開戦」から80年を超えて当時を知る生存者は数少なくなりつつある。

 「選」のなかに、これまでに明らかになっていない、史実があるわけではない。史実に至ったあるいは史実を動かした、社会的な熱狂とそれに冷静に対応した人々の挫折の歴史がある。この番組は、繰り返し放送さえるべきだろう。NHKの編成にもそうした意図があったであろう。

冷静な米国と狂喜の日本

 1941年12月8日、真珠湾攻撃の日。連合艦隊司令長官・山本五十六ら海軍の幹部たちは、瀬戸内海に係留した戦艦長門にいた。山本の様子を側近の手記は伝えている。「トラトラトラ」の奇襲成功の暗号文を受け取ったあとのことだ。

 敵方の電報を見て、山本は一瞬にやりと笑った。

 「SOS-attacked by Jap」「Jap -This is the real thing」

真珠湾攻撃を受けた、米国の閣僚たちは冷静だった。ルーズベルト大統領の側近だった、ハリー・ポキンスの手記だ。

 「(閣僚たちの)協議はあまり緊迫したものではなかった。遅かれ早かれ、わが国が第2次世界大戦に参戦するに違いない。日本が機会を与えてくれたからである」

 陸軍長官のヘンリー・スチムソンは回顧する。「危機が到来したという安心感があった」。

 今回の「選」の紹介からは、若干脇道にそれるが、「歴史修正主義」とは、こうしたルーズベルト大統領とチャーチル首相が、第2次世界大戦を拡大していった、史実を掘り起こすことをいう。日本では、在米の歴史家である渡辺惣樹が、精力的に歴史修正主義の著作の日本語訳に取り組んでいる。

 作家の坂口安吾は、狂喜した。

 「涙が流れた。言葉のいらない時が来た。必要ならば僕の命も捧げなければならぬ」

 東京・四谷の主婦である、金原まさ子も坂口に劣らない。彼女は乳児・住代を育てている最中だった。育児日記にその日のニュースを書き込むのが習慣だった。

 「血湧き肉躍る思いは胸がいっぱいになる。しっかりとしっかりと大声で叫びだしたい思いでいっぱいだ。大変なのよ、住代ちゃん。しっかりしてね」

 岐阜の稲作農家である、野原武雄は戦前戦後を通じて、約45年にもわたって日記をつけ続けた。真珠湾攻撃の日「我が海軍の強さ」と記した。野原の息子2人が戦地に赴いていた。


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