2024年4月25日(木)

研究と本とわたし

2013年5月2日

 ただ、「科学で人間は語れない」という批判もまた常についてまわるもので、私自身もいろいろ考えさせられてきました。その点について考える書物としては、アイザック・アシモフの「科学と美」(『The Sacred Beetle and other great essays in Science』所収)が興味深いですね。

 このエッセイは、天文学者が星について科学的な説明をしているのを聞いた詩人が、満点の空を見上げて「こんなに美しいものに、あんな興ざめな説明をする必要はないじゃないか」と嘆いている場面から始まります。これに対して、アシモフは「科学は美をつぶすものではないから、そんなに嘆かなくてもいいのだ」という立場です。「星を科学的に分析しても、その一方で美しい存在をありがたいと思う心はあるし、科学的知識を得ることでそう感じる心はなおさら繊細さを増すかもしれない」というわけです。

 私は、この「星」の部分を「人間」に置き替えても同じことが言えるのではないか。生物人類学という自然科学によって人間を知れば、もっと人間という存在に対する尊敬の念や愛おしさが生まれてくるのではないかと思うのです。

 その観点から言うと、科学的とは言い難い言説や疑似科学が散見される昨今の日本の風潮や、それをある種助長しているような一部のメディアには非常に危機感を覚えます。しかしそれと同時に、私たち人間を扱う自然科学者が、逆にきちんと伝えられていないからではないかという反省もあります。

――今後の研究のテーマや方向性について教えていただけますか。

内田氏:進化生物学でよく取り上げられる考え方に「赤の女王仮説」というものがあります。生物は他の生き物と共に進化するのが自然であり、一つの生き物だけが、あるいは体内の一つのシステムだけが、飛び抜けて先に走るようなことにはならないということの喩えに、『鏡の国のアリス』(ルイス・キャロル著 角川文庫ほか)の登場人物である「赤の女王」の話が使われています。

 ところが現代の人間を見ると、例えば過剰な栄養摂取による肥満や社会的には未熟であるのに性的な成熟度が早まる傾向にあるなど、生物として暴走している状態にあると言えます。そういう人間の生物学的メカニズムが今後どのように変化していくのかに関心を持っています。

 また、これから人類学に何ができるのかということを考えると、人間が直面する様々な社会問題に対して、私たち研究者が自然科学的な人間理解を社会に広めることで、その解決にもっと積極的な貢献ができないか、というのが今の私の問題意識ですね。

――どうもありがとうございました。


内田亮子(うちだ・あきこ)
早稲田大学国際教養学部教授。東京大学大学院修士課程、ハーバード大学大学院博士課程修了。Ph.D.(人類学。ハーバード大学)。ハーバード大学ピーボディ博物館、京都大学霊長類研究所、千葉大学を経て2004年から現職。著書に『人類はどのように進化したか―生物人類学の現在』(勁草書房 2007年)、『生命をつなぐ進化のふしぎ』(筑摩書房2008年)、『ヒト、この不思議な生き物はどこから来たのか』(共著、ウェッジ 2002年)などがある。


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