生物学は、物理学や化学などのサイエンスとは異なっています。なぜならば、”変異”という概念を非常に重要な要素として考えなければいけないからで、それを指摘しているのがダーウィンなんですね。
たとえば、人間は他の動物とは違うとか、AさんとBさんは違うとか似ているとか言いますよね。それは要するに変異が存在するかどうかということなのです。
そしてその変異の要因は、HowとWhyとのセットで解明しなければなりません。Howの方は、たとえば遺伝子やホルモンについて、動物によってどのように違いが生じているかということを探究するわけですが、Whyはその違いがどうしてそうなるのかということを問う。そのWhy を考えるには、歴史的というか進化的な考え方が絶対に必要なわけです。それで、生物が表す様々な現象を変異という観点から見るということが、すごくおもしろいと思うようになりました。
さらに、このような生物について考えるための概念的な枠組みを自分の思考のなかで納得して得られたことで、「人間という存在についていかに語るか」ということに関心が高くなって、人類学の本分である「人間を考える」というところに、うまく移行できたような気がします。
この変異ということとWhyとHowのセットで生物を捉えるというのは、人間の形態的側面についてだけではなく、心というものについて探究する際にも用いることができるでしょう。
この枠組みで考えると、倫理や道徳、社会的規範や法律との関係はどうなるのか、というように、人間という存在についての思考がどんどん広がっていくのを感じたわけです。
そうなってくると、解剖学、生理学、生化学といった課目を、ばらばらに詰め込みで学んで大変だと感じていた東大時代から一変して、知的刺激への欲求が次から次へと湧いてきて、まさに砂漠が水を吸い込むように様々なことをどんどん吸収していけるようになりました。
――言わば『種の起源』によって、世界観が一変されたわけですね。
内田氏:本の話で言えば、その時点から、たとえば『ガリバー旅行記』(ジョナサン・スウィフト著 日本語版:岩波文庫ほか)や『アラバマ物語』(ハーパー・リー著 日本語版:暮らしの手帖社)などをはじめ、子どもの頃に読んでいた本を読み返すようになりました。童話や子ども向けの物語の本質は、「人間とは?」とか、友情・恋愛・親子の愛、そして差別・偏見といった人間性を語っているものが多いですよね。あるいは学生時代に読んだ「人間性」を扱うプラトン、ヒューム、アダム・スミス、エマーソン等の哲学、さらに世界各地の天地創造の物語や宗教の教義に至るまで、進化や生物学に深く関わっているということに改めて気づかされたわけです。