3番勝負、〝密林男〟グレート・アントニオ
3番目の試合は77年12月8日の蔵前国技館で唐突に組まれた〝密林男〟グレート・アントニオとのシングルマッチだ。グレート・アントニオは61年5月に日本プロレスに初来日した際は満員の大型バス3台を引っ張るなどのパフォーマンスで話題を呼んだものの、力道山に挑んだインターナショナル・ヘビー級戦の3本勝負では全く実力を発揮できず2―0のストレート負けを喫していた。
三流レスラーの烙印を押されながら16年ぶりに新日本プロレスへ来日したこの時も、プヨプヨの体格と動きの遅さは相も変わらずで完全な〝色物〟であることは誰の目にも明らかだった。
ナゼかアラブ風の民族衣装を身にまとったマネジャーを伴い、入場してきたグレート・アントニオは観客席へ雪崩れ込むなど大暴れ。しかし、期待値を高めたのはここまでだった。ゴングが鳴って猪木と対峙しても、相手の攻撃を力任せに跳ね返すだけで技らしい技は全く見せない。「ホホーッ」と叫びながらニヤニヤと笑い、突き出た腹を両手で叩きながら小ばかにしたかのような態度を取りつつ、左手で首元を押さえつけながら右手でパンチを数発振り下ろすと……。
ここで猪木さんがブチ切れた。張り手を数発お見舞いし、足を救い上げて寝転ばすと強烈なサッカーボールキックとストンピングを顔面と後頭部に計13発もさく裂させた。グレート・アントニオは口に裂傷を負って戦意喪失。3分49秒、KO負けを喫した。
猪木さんは多くを語っていないが、ストロングスタイルをモットーとする新日本プロレスのリングでグレート・アントニオが想像していた以上にフザけたパフォーマンスに終始し、レスリングをしようとしなかったことで怒りの導火線に火が付いたものと思われる。いずれにせよ、この一戦もまた猪木さんの「怖さ」と「強さ」を垣間見せた貴重な試合だった。
プロレスこそ最強の格闘技
プロレスこそ最強の格闘技である――。その思いを胸に猪木さんが旗揚げした新日本プロレスのロゴであるライオンマークには「KING OF SPORTS」の文字が刻み込まれている。前記したシュートマッチで猪木さんはプロレスラーの強さを満天下に見せつけ、プロレスの中に「ストロングスタイル=闘い」の要素を組み込んだ。
昭和時代から猪木さんの熱い戦いに大きな影響を受けてきたビジネスパーソンは今の世の中に数えきれないほどいるはずだ。これからは「猪木がいない時代」を生きていかなければいけない。しかしながら偉大なレジェンドから授かった〝闘魂〟は一人ひとりの胸の中でしっかりと伝承されていくことだろう。
アントニオ猪木さん、今まで本当にありがとうございました。長く闘い続けた身体をゆっくりと休め、どうか安らかに天国でお眠りください。合掌――。