2024年7月16日(火)

勝負の分かれ目

2022年10月8日

 この世紀の一戦は試合前から水面下で両陣営が壮絶なリング外バトルを繰り返していた。アリ陣営は来日直後まで「人々を楽しませるエキシビション」として捉えていたものの、猪木さんがあくまでも「真剣勝負」で臨む姿勢であることを関係者から伝え聞いて驚き、さらに試合直前になって後楽園ホールで行われた両者の公開練習で猪木さんがリング上で見せたジャンピングハイキック、腕ひしぎ逆十字などの関節技に強い警戒心を抱くと急に態度を硬化させ始め揺さぶりをかけた。

 頭突きや肘打ち、スタンドでのキックの禁止など「手と足を縛られたようなルール」(当時の猪木さん談)を公にせず暗黙のまま受け入れなければ、アリ陣営は試合をキャンセルして帰国することまでほのめかしていたという。それでも猪木は「何としてでもアリをリングに上げる」ことを前提にこれを受け入れ、当日のリングに立った。ただ、アリ陣営は後年、猪木陣営がシナリオありの「ブック」を持ちかけてきたが、これをアリが拒んだと逆の主張をしており、事の真相は闇の中だ。

 このアリ戦は猪木さんが亡くなられてから代表的な試合として多くのメディアでも取り上げられているので、15ラウンド引き分けに終わった試合の詳細については割愛する。ただ終了直後に「凡戦」と酷評された一戦は後になって再評価され、現在隆盛を誇る「UFC」や「RIZIN」など総合格闘技(MMA)の〝礎〟となったのは言うまでもない。

 未だに猪木対アリ戦を「リアルファイトではない」とする意見も少なからずあるが、筆者は当時を知る関係者からも直接耳にした上で「正真正銘〝極上〟の真剣勝負だった」と確信している。

 実際に生前のアリ氏は2014年4月にツイッター上で世界最大の米国総合格闘技団体「UFC」で代表を務めるダナ・ホワイト氏に対し、猪木対アリ戦の写真を添付しながら「俺はオリジナルMMAファイターだろう?」とツイート。これにホワイト氏は「あなたは全てのオリジナルです!」とリプライしている。このやり取りこそ猪木対アリ戦の〝リアル〟を物語る何よりの証明だろう。

2番勝負、〝パキスタンの英雄〟アクラム・ペールワン

 2つ目の試合はアリ戦の半年後、76年12月12日にパキスタン・カラチのナショナルスタジアムで行われた〝パキスタンの英雄〟アクラム・ペールワンとの一戦だ。現地入りした猪木さんに対し、試合数時間前になってペールワン側がブックなしのシュートマッチを一方的に主張。控室に一人閉じこもった猪木さんは「殺(や)るか殺られるか」の気持ちに切り替え、リングに上がった。

 歯形がくっきり付くほどの噛みつき攻撃や反則技を仕掛けてきた相手への報復として、猪木さんは派手なプロレス技を一切見せず、あえてテレビカメラが向けられていないところで目潰しなどの裏技を再三に渡って繰り返し、ペールワンを完全なグロッキー状態へと追い込む。そして最後は左腕を強烈なチキンウイングアームロックで締め上げると3ラウンド1分5秒、ギブアップしない相手をそのまま脱臼させてしまった。

 試合が思わぬ形で決すると、約5万人の大観衆で膨れ上がった会場のナショナルスタジアムは英雄の惨敗にシーンと静まり返り、その静寂の後に大騒ぎとなって暴動寸前に。それでもリング上の猪木さんは1人、ジェスチャーを交えながら「折ったぞ!」と日本語で叫び続けていた。

 この異様な光景は、まさに「キラー・猪木」の側面を象徴させるシーンだったと言える。パキスタン・レスリングの草分け的存在だったペールワン一族を失墜させた「アントニオ・イノキ」の名が同国で一斉に知れ渡り、今も伝説となっているのは、この凄惨なシュートマッチが実は起因となっている。


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