2022年11月28日(月)

勝負の分かれ目

2022年10月8日

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 巨星墜つ――。プロレス界のスーパースター・アントニオ猪木さんが亡くなった。政治活動、大会プロデューサーなどリング外でも多岐にわたり活躍され、すっかりお馴染みとなった「元気ですかーっ」「1、2、3、ダーッ」の名フレーズや「闘魂ビンタ」のパフォーマンスは多くの人から親しまれた。

 だが、やはり猪木さんといえば、約38年間の現役生活を抜きにしては語れない。昭和の激動期からリング上の名勝負を通じ「戦い」と「男のロマン」を見せつけ、われわれに勇気と感動を与えてくれた。その功績は計り知れないだろう。

 前所属の日本プロレスでクーデター騒動から退団へと追いやられた猪木さんは1972年1月に新日本プロレスを設立。同時期に旗揚げし、資金や大物外国人レスラーの招聘ルートを確立して圧倒的優位に立っていたジャイアント馬場率いる全日本プロレスに対抗するため、当時はまだ禁断とされていた大物日本人レスラーとの対決に活路を見出そうとした。

 元国際プロレスのエース・ストロング小林とのNWF世界ヘビー級戦、さらに試合前から相手に「10分で決着」と挑発され、猪木さんが「片手で3分」とやり返した末に「第1回ワールド・リーグ戦」で初激突した坂口征二との同門対決など――。

 シンプルに「一体誰が日本マットで最強なのか」をテーマとした日本人対決は多くのファンの心をとらえた。そして日本プロレス時代の先輩でかつて猪木、馬場とともに「三羽烏」と称された韓国出身の大物レスラー・大木金太郎との壮絶なケンカマッチも日本人対決ではないが、かつて同じ釜の飯を食べて苦楽をともにした元同門同士の名勝負として今も語り継がれている。

 「人間風車」ビル・ロビンソン、「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シンや「不沈艦」スタン・ハンセン、「超人」ハルク・ホーガンら数々の外国人レスラーとも激闘を繰り広げ、人気を不動のものとした。他の日本人レスラーとの名勝負でもマサ斎藤、長州力、藤浪辰爾……。挙げれば、とにかく枚挙に暇がない。

試合を終えて握手する猪木氏とアリ氏(AP/AFLO)

リアルファイト3番勝負 1番勝負、〝世界王者〟モハメド・アリ

 いろいろな意見があるのは承知しているが、スポーツライターとしてこの世界に入る前から「猪木信者」を自負していた自分が個人的にアントニオ猪木さんの「怖さ」と「強さ」を強烈に印象付けられた試合が3戦ある。

 その3戦すべてがブックなしの「ガチンコ」、いわゆる「リアルファイト」だ。

 まず1試合目は1976年6月26日に日本武道館で行われたプロボクシングWBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの異種格闘技戦である。プロボクシング界で世界ヘビー級の2団体統一世界王者に君臨するワールドクラスのスーパースター・アリに対し、猪木さんはまだ主に日本国内でしか名前が知れ渡っていない〝小さな島国〟の人気プロレスラー。しかも世界を制したプロボクサーのアリとプロレスラーが同じリングで相まみえるなど、当時としては考えられない図式だった。

 実現に至った経緯は簡単に言えば、こうだ。「誰か俺に挑戦する東洋人はいないか」というアリ特有のリップサービスに本気で噛みついた猪木さんは挑戦状を送り付け、国内外の主要メディアを使って執拗に「俺から逃げるな」と挑発。次第に「イノキなんて聞いたこともない」と一笑に付していたアリ陣営も世界的に反響が大きくなると無視できなくなっていった。

 猪木側は1000万ドル(当時のレートで30億円)のギャラを用意し、当時から新日本プロレス中継を放映していたテレビ朝日幹部のバックアップも実って到底実現不可能と言われた前代未聞のプロレス対ボクシングのミックスド・マッチが実現する運びとなった。

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