2024年11月22日(金)

お花畑の農業論にモノ申す

2022年10月10日

 これまでコメとすみ分けてきた大豆が「一方で淘汰」「置き換え」になったとすれば悲しいことだ。もちろん、土地改良事業が進み、畦畔が取り払われたり、少なくなっていくのは悪いことではないし、水田の有効利用で田本地の大豆が進行するのは望ましい。

 なお、余談にはなるが、いまでも「タノクロ(田の畔)」という名の伝統大豆種が茨城や三浦半島に残るそうだ。越後平野でも、9月中旬からしばらく<稲穂の黄金と大豆の緑>が見事なパッチワークで、信州の安曇野ではこれにソバの花の白さが重なって三重奏だ。農村地域の景観を維持することも大事なことである。

 俳人の万乎は、芭蕉の句集「猿蓑」で「田の畔の豆伝ひゆく蛍かな」と詠んでいる。

最も重要なのは穀物自給率の維持・向上

 日本のように、国民一人当たり農地面積が小さい国では、限られた農地の利用率を高めて食料安全保障に寄与していくのが正しい方向である。食料安全保障の基本として考えるべきは主たるカロリー源である穀物の確保だ。日本がお手本とする旧大陸の農業では、英国、ドイツ、フランス、いずれも穀物の生産に力を注いでいる。

 世界各地の主食としては、穀物に加えジャガイモ(バレイショ)がある。これらの世界生産量は、トウモロコシが10億トン、小麦7億トン、コメ5億トン、バレイショ4億トンの合計26~27億トンで、これに油糧たる大豆3億トンを加えると、カギになる食料の総計は約30億トンである。

 日本としては、まず「世界に冠たる生産・環境装置である水田」として、精一杯コメを作りたい。生産性が高く、栄養面でも優れたコメとその裏作の麦の組合せ、そして、その脇の畦畔が使えるならば大豆も生産したいものだ。

 「コメを作らない&小麦・大豆を増産する」ではなく、「コメも麦・大豆も作る」である。それぞれ大いに作って、食用や畜産用の用途は、高いところから水が流れるようになだらかに充当していきたい。

 国内需要を超えるコメは輸出し、いざ食料危機には、輸出分を国内向けに切り替えるのだ。食料危機への考え方としては、「家畜はライブストック」生きている備蓄というのもよいだろう。いざのときには、家畜を食し、エサの穀物を人間が消費して当たり前なのである。「飼料が高い、足りない」といった一時的な世界の動きで生産する穀物を決めるのではなく、日本の食生活、風土にあった生産品目を決めていくことが求められる。

 この際、世界の小麦の発展の歴史を振り返ってみよう。米国での小麦の改良が食糧革命、農業革命をもたらし、人類を養ってきたといわれるが、実はこの小麦、もとはと言えば、1935年に、稲塚権次郎さん開発した、背が低く、倒伏しにくい=機械特性がよい「ノーリンテン」と呼ばれる日本での開発品種がベースにある。太平洋戦争後、米国が持ち帰ってさらに改良、いまでは、世界の50カ国以上、500品種もの子孫を持つ。

 わが国の水田とコメも同じである。「コメは人類を養い、地球を救う作物」である。

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