日本企業は「ノマド」を許容できるか?
先日、国内の航空会社スターフアイヤーが、サブスクリプション(定額サービス)を検討しているという報道があった。東京と九州を定額料金を払えば何度でも乗り放題というものだ。こうした動きが広がれば、定住ではなく、移動が当たり前となり、新しい人の出会いをえたり、発想の切り替えをしたりすることが容易になる。
私自身も、京都と東京の2拠点生活(デュアルライフ)をここ2年ほど続けている。東京ではビジネス、京都では僧侶と執筆の生活を楽しんでいる。
もはやオフィスに机を並べて人間関係に気を使う時代ではないのだ。ましてや年功序列や終身雇用もなくなった。良くも悪くも、仕事の効率を上げて結果だけで評価される時代になってきている。そうであれば「ノマド」のライフスタイルが労使双方にメリットがあるのではないか。
日本の企業社会では、いまだに、早朝の満員電車に乗り、また帰宅ラッシュで満員電車に乗るというスタイルが一般的だ。
誤解を恐れずにいえば、ダラダラと非効率に働いて、残業代を稼ぐといったスタイルも続いている。私は、飲みにケーション、ランチミーティングなど全く否定しないが、毎日皆でゾロゾロとランチに行く必要はないし、早く帰宅したい日はデスクでコンビニおにぎりをほおばりながら、17時前に退社しても良いと思う。
要するに、効率的に仕事をすませた人にインセンティブがあるわけでもなく、余計な仕事がふられてしまう。能力のある社員ほど馬鹿を見る。こんなことで日本企業の生産性が上がるわけはない。
しかし、このようなことが日本の企業社会では実現していない。それは、同調圧力に負けるからだ。あるあるの話だが、上司が残業していると仕事がなくても何となく付き合い残業をする。人事評価が仕事の結果ではなく、プロセス評価だから上司の気にいる行動を取るのだ。机の並べ方も集団主義的で個室を与えられない場合が多く、個性を殺して協調性を重視させられる。社長が喫煙していると社内も喫煙者が多く、ゴルフが好きなら貴重な休日まで付き合いゴルフに行く。こんな社風が日本的だから自主性のない金太郎飴社員が増えていく。
私はそんな日本的空気が嫌いで個性的な人材の育成を経営に取り入れた。例えば、遊牧民出身である外人社員を多く雇うことにした。理由は筆者自身が昔から狩猟民族と農耕民族のどちらでもない生き方が好きだったからだ。経営者として会社設立してからは日本人と外国人の比率を半々にした。異質の協力が会社の活性化になると信じたからだ。
そして、できるだけ無意味な会議を排除して3現主義をモットーにした。会社には来なくていいから、「現場、現物、現実」を徹底した。むしろ、現場に行かない、現物に触らない、現実的な意見を出せない人材は切り捨てた。
コロナ禍のお陰で会社に来なくても結果を出せる社員は「時間の切り売り」で仕事をしているのではないことを証明した。今や日本の国内総生産(GDP)の7割以上が第3次産業(サービス産業)になった。つまり、アイデアやシステム構築や発想転換などが価値のある仕事になってきたのだ。さらに情報通信・医療・教育サービスなどの知識集約産業などが第4次産業に分類されつつある。これら知識集約産業が9割を超える時代が遠からず来ると予見できる。
「オフィス」の必要性が薄くなって、どこに住んでいるのかに関係なく仕事をすることができる。その代わり、人々はどんどん移動する。正社員として継続的に働くのではなく、フリーランス同士でチームを組んでプロジェクトに取り組み、終わったら解散する、といったような流動的な働き方が主流になると予見される。