超薄型の時計では、短針・長針・秒針の3本の針をわずか900ミクロンの空間にすべて完全に水平に取り付ける。ピンセットで薄い針をつかみ、針押さえで押しながら文字盤に平行に針を置く。わずかな力加減で針が反ってしまう繊細な作業は、全神経を目と指先に集中させなければ失敗する。まさにこの瞬間に時計の精度と美しさが決まる。
「機械もみんな同じじゃないんです。だから、それぞれの機械が持っている特徴をつかまないといけない。手順書は頭で理解できても、それぞれの機械のクセをつかんで、クセに合わせるのは感覚の世界なんです。力加減も感覚です。長年やっているうちにわかってくるものなんですよね」
諦めたくない
橋場が初めて針付けの作業についたのは47年前。養蚕農家の末っ子として生まれた橋場は、地元の中学校を卒業し15歳で当時の平和時計製作所に就職している。
「同期だけで100人ほどいました。私は、姉がすでにここで働いていて、高校を卒業した兄も一緒に入社したし、家も近いし、ほかの就職先は考えないで当然のように入社したんです。最初に配属されたのは針付けのラインでした。初めは短針だけ。短針ができて長針、次に秒針というように、部分的にひとつずつ覚えていったんですけどね」
それから長い年月がたち、橋場は社内でただひとり最高の称号であるスーパーマイスターとして評価され、2006年に「信州の名工」、09年に「現代の名工」と、日本の誇る技能者になった。橋場の匠への道はどこから始まったのだろうか。
「仕事はわりとすぐ覚えたんです。自分の仕事ができるようになると、先輩で早い人がいると、どうやっているのかなあと見に行ってました。早いラインがあると気になってまた見に行く。同じ作業なら早くできるようになりたかったんですね」
負けたくない。そのためには自分との違いを発見し、それを克服することで追いつき、さらに自分なりの工夫をすることで勝ちたい。相当に勝気な少女だったのだろう。
「そうなんですよ。4人兄弟の一番下で、兄や姉ができることは自分もやりたい。100人も同期がいるなら誰よりも早くやりたいんですね」
年齢や経験の差があるからしょうがないとは思わない。まして同期ならなおさら。だから“より早く”というテーマを自らに課した。