オトナの教養 週末の一冊

2013年6月27日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

 もちろん、言葉を「正しく」使わないと伝達がうまくいかないことが多いのは事実です。私は、留学生に日本語を教える仕事が本業ですが、留学生は文法的な正しさを学ばないと、意味の伝わる文を組み立てられません。日本人でも、語彙レベルでは、「アボカド」を「アボガド」、「人間ドック」を「人間ドッグ」と間違えて覚えていることはあります。

 しかし、文法を間違えることはほとんどありません。ネイティブ・スピーカーが使っていれば、文法的に「正しく」なるのです。

――確かに間違えて使っている言葉はありますね。ただ、言葉は時代とともに変化していくものだとも耳にします。

石黒氏:言語学では、「規範」と「記述」という考え方があります。「規範」というのは意識のうえでの正しさであるのに対し、「記述」というのは現実にこう使われているという意味での正しさです。

 たとえば、「見れる」「食べれる」のような「ら抜き言葉」、「飲まさせる」「言わさせていただく」のような「さ入れ言葉」、「行けれる」「泳げれる」のような「れ足す言葉」は、このように並べて書くと、眉をひそめる人もいるでしょう。少なくとも書き言葉では通用しません。すなわち、これらは「規範」という意味では正しくありません。

 ところが、ググってみればすぐにわかるように、これらはすべて普通に使われています。つまり、「記述」という面ではこれらはすべて正しいわけです。

 言語学者の言う正しさは「記述」の正しさです。おっしゃるように言葉は変化していくし、それにつれて正しさも変化していくものです。言語学者が考える正しさは、今どれくらいの人が使っているかで決まります。

 本来正しさの作り手は一人ひとりの日本語話者です。対話の相手が不快に感じさえしなければ、規範的な正しさなど無視してよいのです。しかし、一人ひとりは弱いもので、自分の表現力にさほど自信が持てません。そこに、現実離れしたある種の「正しさ」を売りにする識者の商売の余地が生まれるわけです。

 このような「美しい」「正しい」に代わる言葉を探した結果、私は「ふさわしい」という言葉にたどり着きました。「ふさわしい」というのは、聞き手や話題、目的や場面に合った適切な言葉を使うということです。この適切さのしくみを研究するのが、本書でご紹介した社会言語学です。

――先生が研究されている言語学はなかなか馴染みがないのですが、どんな学問でしょうか?

石黒氏:言語学には、大きく分けて三つの考え方があると私は考えています。

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