2024年4月16日(火)

オトナの教養 週末の一冊

2013年6月27日

 電車にたとえると、文字列という線路があり、言葉を理解するときには電車がそこを走っていくイメージです。たとえば、中央線に乗っている場合、始発駅の東京を出発して隣の神田駅を通過しているときには終点の高尾駅の風景は浮かびません。しかし、電車に乗っているとどんどん風景は変わり、高尾駅に到着し風景が変わり終えたときに最終的に中央線のひと通りの流れが頭に入ります。つまり、東京駅から高尾駅までの風景を一瞬で見ることはできない。同じように、言葉は一瞬で全体像を見ることはできず、1行1行を追っていき、徐々に頭の中で意味や全体像が形成されるリニアな構造体なのです。

――つまり、音楽を聞くときと同じように、部分を順々に追っていかないと、文章の全体像が理解できないということですね。

石黒氏:ほかにも、文章理解では、書かれていないものまで推論で読むというおもしろい性格があります。つまり行間を読むわけです。

 そういった芸当がなぜできるかを考えると、書かれていることや話されていることの大半は、実はすでに聞いている人の頭の中にあると考えて、初めてつじつまが合います。

 たとえば、本書を読んで「なるほど、おもしろい」と思っていただけるかもしれませんが、本書に書いてあることの8~9割はすでに読者の頭の中に存在していることかもしれません。

 では、なにが新しいのかというと、言葉のつむぎ方です。言葉のつむぎ方によって、知っている断片から新たな知識が生成されるのです。

 頭の中にすでに存在している断片的な知識を、一定時間強制して文字列を追わせ、整理させることで読書は成り立っています。このように、脳の情報が更新されることが、読書の快感なのかもしれません。

――それはおもしろいですね。今後の研究ではどんなことを考えていますか?

石黒氏:もし一定時間強制して文字列を追わせ、頭の中を整理させることで読書は成り立っているとすれば、それは読者の頭の中の記憶を変えていることになります。

 それぞれの人の頭にある記憶の構造は、言葉を与え続けることで少しずつその形を変えることができるのです。それは人間の能力の源泉ですが、同時にたいへん怖いことでもあります。

 今後は、文字を読んだり音声を聞いたりすることで頭の中の整理を強制する装置である言葉の不思議さと怖さの二面性を、同時に伝えられるような研究を発信していけたらと思っています。

石黒 圭(いしぐろ・けい)
1969年大阪府生まれ。神奈川県出身。一橋大学国際教育センター・言語社会研究科准教授。一橋大学社会学部卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。専門は文章論。主な著書に『文章は接続詞で決まる』(光文社新書)、『正確に伝わる! わかりやすい文書の書き方』(日本経済新聞出版)、『この1冊できちんと書ける! 論文・レポートの基本』(日本実業出版社)などがある。

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