2024年4月19日(金)

勝負の分かれ目

2023年3月27日

 決勝戦を終えた直後の公式会見で大谷は高校時代に思い描いた「WBCのMVP」を実現できたことについて問われ「1つの野球人生の獲得したいものの1つとして書いていましたし、今日実際にそうなることができて、僕がMVPになったとかではなく、日本の野球が世界に通用する、そういう勝てるんだという、みんなが1つになって。短い期間ですが、本当に楽しい期間でした」と口にしている。

 侍ジャパンのスタッフの1人は「日本代表の一員としてWBCに参加した大谷選手はとにかく日々を楽しんでいました。試合では感情をむき出しにし、喜びも人一倍に爆発させる。あの決勝戦で帽子とヘルメットを興奮の余りに放り投げたシーンはベンチにいた私たちもシビれました。

 メキシコとの準決勝でも1点を追う展開だった9回裏に自ら二塁打を放ち、二塁塁上から両手で手招きしながら〝Come on! Come on!〟と叫び〝俺に続け〟と言わんばかりに味方の攻撃を煽ったことがありましたよね。結局、この大谷選手の魂の二塁打が起点となって村上宗隆選手の逆転サヨナラ打につながったわけです。

 とにかく今大会においてはエンゼルスでは今までほとんど見られなかった彼の一面が出たと思います。今風に言えば〝シン大谷翔平〟とでも言えますかね」と打ち明けていた。

 かつて大谷は2021年9月のエンゼルス本拠地最終戦で「もっともっと楽しいというか、ヒリヒリするような9月を過ごしたいです」とこぼし、チームがポストシーズン進出から遠ざかっている現状にフラストレーションが溜まっている本音を吐露したことがあった。大谷本人は「WBCとレギュラーシーズンは別物」として、やんわりと否定しているはいえ「やはりエンゼルスで味わったことのない短期決戦特有の緊張感をWBCで体感し、『リアルな大谷翔平』の姿を今大会で初めて世に出したのだろう」と指摘する声はかなり多い。

日本球界を背負う若手に与えたもの

 エンゼルスのスプリングトレーニングとオープン戦で調整を行った後、侍ジャパンには3月3日から合流。宮崎合宿には参加できなかったものの合流初日から「フォア・ザ・チーム」の献身的な姿勢を示した。

 日系2世で初の代表メンバーとなったラーズ・ヌートバー外野手(セントルイス・カージナルス)がチームに馴染めるように他の選手やスタッフに紹介し「僕のことよりも〝たっちゃん〟(ヌートバーの愛称)をよろしくお願いします」と頭を下げまくった。

 その存在感に圧倒され、なかなか近寄って来ない他の侍メンバーたちには自分よりも年下でありながら自ら率先して挨拶し、気さくな性格であることを印象付けるように心がけつつ積極的にコミュニケーションを図った。チーム宿舎では若い選手たちを誘ってダイニングルームで食事をともにしながら交流し、互いの距離感も縮めた。

 東京での1次ラウンド、そして準々決勝までアジャストできず不振にあえいでいた村上宗隆内野手(東京ヤクルトスワローズ)や同じ岩手出身でトップチームには初選出の21歳・佐々木朗希投手(千葉ロッテマリーンズ)らを気遣って声をかけたり、時に助言も送ったりするなど精神的支柱としての役割も担い、とにかくプレー以外でもどんどん動き回る姿が光った。

 大会を終えた村上は約3週間の短期間ながらもチームメートとして初めて行動をともにした偉大な先輩・大谷について「打撃だけではなく、選手として凄く高みを目指させてくれる……目標を高めてくれる存在でした。これから、さらにもっと頑張ろうと思えました」と述べている。

 一方、佐々木も「凄い選手たちの試合だったり、プレーを間近で見ることによって、いろいろ見方、感じ方も変わった。初めてアメリカの選手を見たので」と話し、続けて白い歯をのぞかせながら「大谷さんが一番、凄いなと思いました。(決勝戦最後の9回は)絶対に抑えてくれるだろうと思っていましたし最後、三振で決めて格好よかったです」と目を輝かせていた。


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