米国と比べ見える日本の欠陥
では、日本は大丈夫と安心して良いのだろうか。ここで、米国との相対的な労働生産性を見ると、また違った姿が見えてくる。図1は、米国の労働生産性を1として主要国の生産性を見たものである。
これで見ると、日本は1970年から90年代中ごろまで米国との差を縮めてきたが、その後、追いつけなくなったことが分かる。それはヨーロッパ諸国もカナダも同じだと言えばそうだが、カナダと英国は米国との差をかなり詰めてから、独仏伊は米国を上回った後に低下して、米国の7割~9割のレベルにある。日本は7割を超えるレベルまで追い付いたが、その後低下して6割のレベルに戻ってしまった。
なお、アベノミクスの時代(2012年から19年)ではわずかだが米国との差を詰めていることが図から分かる。アベノミクスは確かな成果を上げているのだ。また、韓国は米国との差を一貫して詰めている。
結局のところ、日本の生産性上昇率が低くても構わないと考えるか、それではいけないと考えるかである。ただし、客観的に考えるべき事として、米国との格差がある。
キャッチアップ型成長という考えがある。遅れた国は、先進国の優れた制度や技術を真似ることができるので、より高い成長をすることができる。しかし、追い付いてしまえば、先進国と同じだけの成長しかできないという考え方だ。
多くの国に米国に追い付きそうになってから成長率が低下し、追いつけないでいるというのは、キャッチアップ型成長論という考え方が正しいことを示しているのだろう。しかし、欧州諸国は9~7割まで追い付いているのに、日本は6割までしか追い付いていない。韓国は6割弱まで急速に追い付いた後も追いつく力に衰えはないようだ。
韓国の生産性はすぐに日本を追い越すだろう。日本の追い付く力が衰えているのは、日本に何か欠陥があると考えた方が良いのではないか。
独仏伊の奇妙な生産性の動き
さて、独仏伊は1980年代の中頃から2000年代の最初まで、米国よりも生産性が高くなって、その後低下している。これをどう見たら良いのだろうか。ここでの生産性の定義である労働時間当たり実質GDPは、短期的にはトリッキーな動きをする。
不況になれば労働時間が減る。日本のように解雇の難しい国でも残業時間が減ることによって労働時間が減る。すると、GDP以上に労働時間が減れば生産性は低下せず、上昇することすらある。