2000年代の最初まで、独仏伊は高い失業率に悩まされていた。高い失業率の中で、米国を上回る生産性を示していたのである。失業率が高いのは、雇用が伸びなかったからであるが、雇用が伸びなかったのは、最低賃金が高く、社会保険料などの実質的な雇用税が高く、失業手当が高く、失業者が積極的に職を探さなくても良い状況にあったからである(ヨーロッパの高い失業率については、例えば内閣府「平成12年(2000年)世界経済報告」第2章第2節、など参照)。
しかし、このようなことは長くは続かない。失業者が多く社会不安を生みかねないので失業手当を増やすというような政策は持続できない。失業手当の負担は雇用者にかかるので、ますます社会保障負担は増加してしまう。
そこで、最低賃金を下げる方策が取られ、景気回復もあいまって雇用が拡大し、労働生産性は低下した。特に、イタリアの労働生産性は低下した。
それ以前、少ない労働でそれなりの生活水準を維持できたのだから幸福だったと考えるか、働きたいのに働けなかったのだから不幸だったと考えるかである。筆者は、後者のように考えるが、多くの日本の読者もそうだと思う。
日本はまだまだキャッチアップできる
日本の労働生産性が90年代前半まで低下しなかったのは、一部には時短が行われたからである。労働規制が変わり、1988年から97年までかけて、これまでの週44時間労働を40時間労働に短縮した。米国との差が一番縮まったのは1人当たりGDPでは91年だが(OECD Stat, Annual National Account, Gros Domestic Product)、労働生産性では97年である。GDPよりも労働時間が減少したからである(もちろん、雇用も減少した)。
この間、失業率は上昇し、就職氷河期と言われるような事態が生じていた。筆者は、これは不幸な時代だと思う。
話を戻すと、日本は、米国へのキャッチアップの余地がかなりある段階で低迷してしまった。これは日本が他の先進国と比べてうまくいっていない証拠である。また、労働時間当たりの実質GDPはかなりトリッキーな動きをすることがある。
失業率を低くして、国民が働きたいだけ働く環境を整えた上で、労働生産性を高めることが求められる。それを果たすには、米国へのキャッチアップを改めて進めることだろう。〝日本独自〟のものはそれからでも遅くない。