――大統領が広島での全日程を終えた後、言葉を交わす機会がありましたか。大統領からはどんな話がありましたか。
松田大使「広島空港で大統領を見送った時、懇切な言葉をかけてくれた。『日本訪問の準備に尽力してくれてありがとう。広島に来ることができて本当によかった。日本に心から感謝したい』と。複数の側近からも、日本と日本国民への心からの感謝の表明があった」
――原爆資料館の視察について大統領は記者会見でも感想を話していましたが、心打たれるものがあったようですね
松田大使 「焦土と化し、瓦礫の山となった広島の写真を見て、ウクライナでの激戦地、東部バフムトの惨状を思い浮かべているようだった。爆心地付近の「人影の石」にも衝撃を受けた様子で、視察後の記者会見で、『国民が勇敢に戦わなければ、人影の石だけが残っていたかもしれない』と話したのは、それが心に残っていたからだろう」
参加日程はグローバルサウスにも配慮
――広島G7サミットへの大統領出席の意向は、いつごろ先方から伝えられ、いつ決まったのでしょうか。
松田大使 「4月中旬に大統領府の高官から私に打診があった。『今後の戦局、和平に向けた外交上の努力などを考えるとG7、グロ-バルサウス首脳による会議に大統領が対面で出席することは重要であり、(大統領は)戦争開始以来、支援を惜しまない日本国民に直接お礼をいいたいとも考えている』ということだった」
――大統領の対面出席が決まったことで、サミットのプログラム構成に影響がでたのではないでしょうか。大統領の存在に注目が集まってグローバルサウスなどほかの首脳、議題の影が薄くなってしまうと危惧する声もあったようですが。
松田大使「警備体制の強化やサミット全体の日程、議題の検討などが課題だった。ウクライナ、関係国との間で十分に調整した結果、最終日の5月21日にG7首脳と大統領によるウクライナ・セッションを開き、招待国首脳も含めた平和と安定に関するセッションにもゲストとして参加してもらうことが決まった。(大統領到着当日の)5月20日に正式発表にこぎつけた」
――大統領出席について各国は、異存なく賛成したのでしょうか。フランスの航空機が使われた経緯はどうだったのでしょうか。
松田大使 「関係国との間でどんなやり取りがあったかについて立ち入ることは避けるが、十分な調整を行った結果、大統領の参加が実現した。大統領搭乗機については、いろいろな選択肢の中から、最終的に日本側が同意したうえで、ウクライナ側が決定した。今後のことがあるので、これ以上の詳細な説明は差し控えたい」
――サミット初日になって米国のメディアが、報じたようですが、それまでよく機密が保たれたと思います。
松田大使 「ゼレンスキー大統領がサミット直前に(英仏独伊の)欧州各国を歴訪した時も、事前に報じられたのはドイツ訪問の時だけだ。それ以外はすべて、直前の発表だった。戦時下の交戦国指導者の外遊だから各国ともきわめて慎重になるのは当然だ」