2024年11月22日(金)

プーチンのロシア

2023年6月28日

 ある市民は現地メディアに「ここでは多くの人々が、ワグネルや他の民間軍事会社で働いている。彼らはロシア人で、知り合いのようなものだ。誰も怖がったりしない。軍の兵士すら、プリゴジンを支持している」などと語っていたという。

プリゴジン氏には焦りも

 「プリゴジンの乱」の発端は、ワグネルを率いる同氏とショイグ国防相の対立激化だった。ロシア政府はワグネルに対し、7月1日までに国防省の傘下に入る契約を結ぶよう要求した。しかしプリゴジン氏はその要求を拒否し、ショイグ氏やゲラシモフ参謀総長らへの批判を繰り返した。国防省幹部は、ワグネルのほか約40もの私兵集団がウクライナでの戦闘に参加していると明かし、同様に国防省と契約を結ぶよう要求するなど、ワグネルを特別視しない姿勢を強調した。

 同氏が政治的野心を抱いているとの観測は絶えない。ウクライナ東部バフムトに大量の囚人兵らを投入して制圧しようと試みたことも、自身の権威付けに利用しようとしていたとの見方がある。

 プリゴジン氏が国防省の傘下に引き込まれることで、自身の権威が失われる事態を懸念したとしても不思議ではない。「プリゴジンの乱」の目的は不透明な部分があり、7月1日が近づくなか性急に反乱に踏み切ったプリゴジン氏には「焦りもあった」(ロシアの政治アナリスト)とみられている。

 ただ、プリゴジン氏の行動は想像以上にロシア国民に広く受け入れられる結果となった。プリゴジン氏がモスクワに向かって開始した「正義の行進」の過程では、複数のロシア兵が殺害されたとの報道もある。ロストフ・ナ・ドヌー、ボロネジを通過したワグネルの部隊は、高速道路を数時間も移動すればモスクワに到達できる距離にまで迫った。

結果的には互いに〝手打ち〟

 プーチン大統領が事態の収拾に動いたのは6月24日午前10時。プーチン氏は緊急演説を行い、「軍事反逆という、重大な犯罪行為に引き込まれた者たちに告ぐ」と述べて、ワグネルの行動を「ロシア国民に対する背後からのだまし討ち」「個人の利害と野心によるもの」と断じ、「そのような脅威に対し、ロシアは激烈に反応する」と表明した。

 ワグネルの行進を全面的に制圧する姿勢を鮮明した。しかし、プーチン氏はこの演説においても、プリゴジン氏の名前に直接的に言及することはなかった。一定の交渉の余地を残したと受け止められた。

 そして事態はその日のうちに急転する。夜8時半ごろには、ベラルーシのルカシェンコ大統領とプリゴジン氏が協議を行い、「ロシア国内における流血の事態」を避けることで合意したと同国大統領府が発表した。

 プリゴジン氏はこの後、モスクワに進軍するワグネル部隊が「軍事拠点に引き返す」ことで合意したと表明。さらにロシア当局は、プリゴジン氏に対する刑事訴追を取りやめたと発表した。事実上、〝手打ち〟となった格好だ。


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