米国の二大政党について、民主党がリベラル、共和党が保守の立場に立つといわれる。だが、米国の場合、特定の思想やイデオロギーに基づいて政党の立場を説明するのは容易ではない。何か良いものが過去にあると想定し、その過去に立ち返るのが保守の基本的立場だといえるだろうが、1776年の独立宣言や88年に発効した合衆国憲法、そして自由、民主主義、平等などの建国の理念は、リベラルな立場の人も守ろうとしているからだ。
共和党の性格を理解するためには、歴史を振り返る必要がある。共和党は1850年代に奴隷州の拡大に反対する立場から結党された。共和党から初めて大統領に就任したのは1860年選挙で勝利したエイブラハム・リンカーンであり、彼が奴隷を解放したのは広く知られているだろう。
当時の米国は民主党とホイッグの二党制だったが、共和党はその二大政党の中に割って入ったのである。南北戦争以後、共和党は北部では優勢だったが、南部では人種差別の意識の強い人々が多く、民主党が優位を確立した。しばらくの間、二大政党の勢力が伯仲する時代が続いたのである。
今日の米国政治の基本的枠組みを作り上げたのは、1932年の大統領選挙である。29年に発生した大恐慌から脱するために政府が積極的な役割を果たすべきだという立場から、フランクリン・ローズヴェルトを大統領とする民主党がニューディール政策を推し進めた。
彼らは市場と自己責任を過度に重視する伝統的な米国政治のあり方と違い、進歩的な政策をとっていると主張して、リベラルと自称した。第二次世界大戦後の繁栄の基礎を築いたと考えられた民主党は、長らく優位を確立した。そして民主党政権が推進したニューディールの社会立法や公民権運動に賛同した人に加えて、人種、民族、女性や同性愛者などのアイデンティティを重視する人々や環境保護などの新しい価値観を体現する人々も、「勝ち組」に加わるべく民主党連合に入るようになった。
これに対し米国で保守を自称するのは、リベラル派の主張が時に行き過ぎているのではないかと心配し、それに歯止めをかけようとする人々である。彼らも人種差別や性差別を正当化するような反動的な人々ではない。共和党の下に結集したのは、そのような人々なのである。
大同団結した保守派
共和党支持者は、保守勢力の劣勢挽回を目指す必要があったので、小異を捨てて大同団結した。例えば、『ナショナル・レビュー』という保守派のオピニオン誌は、保守派内部でのイデオロギー論争を回避し、いかに民主党とリベラル派が間違っているのかを強調する論考を発表した。またアメリカン・エンタープライズ研究所やヘリテージ財団に代表されるシンクタンクは、保守的な政策提言を中心とするポリシーペーパーを出し、さまざまな政治活動を支援した。
そして1970年代以降、南部は徐々に共和党の強固な支持母体になっていった。伝統的に南部はリンカーンの共和党でなく民主党を支持していたが、民主党主流派がマイノリティの立場を強調する傾向が強くなると、政策的立場がより一層合わなくなっていった。
南部を共和党が奪うきっかけを作ったのは、1964年の大統領選挙で共和党候補となったバリー・ゴールドウォーターである。彼は、再選が確実視された民主党のリンドン・ジョンソンとの違いを出すために小さな政府の立場を主張し、公民権法への反対を鮮明にした。