2024年7月16日(火)

勝負の分かれ目

2023年10月12日

原50歳の誕生日から変わった歯車

 06年は落合博満氏率いる中日、07年は2度目の監督復帰2年目の原巨人に優勝をさらわれたが、08年の猛虎は開幕から絶好調だった。

 鉄壁に継投を見せるジェフ・ウィリアムス、藤川球児、久保田智之3投手の「JFK」に代表される盤石のリリーフ陣に加え、得点力アップを期待し、広島からフリーエージェント(FA)で獲得した新井貴浩選手(現・広島東洋カープ監督)が3番に座る打線もつながりが生まれた。

 一方、著者が担当になった巨人は開幕から5連敗を喫するなど低迷し、一時は首位阪神から13ゲーム差をつけられた。伝統の一戦で旧知の虎番記者に顔を合わせると、早くも秋の「優勝原稿」の準備に取りかかっていた。 そんな矢先、原は7月22日、50歳の誕生日を迎えた。その日は阪神戦で兵庫県芦屋市の遠征先宿舎に滞在。昼間、各社のキャップクラスがお金を出し合って監督が好きなブランドの靴をプレゼントすると、原さんはお返しとばかりに、宿舎名物のすき焼きをふるまってくれた。このときの原さんの言葉は意外だった。

 「49歳で米国へ渡り、50歳のときにはゴルフのシニアツアーに参戦しようと思っていた。そして、全米シニアで同世代のグレッグ・ノーマンやニック・プライスと戦う。37歳で現役引退したときは、そう思っていましたよ」

 ゴルフの腕前は球界に知れ渡るほどだったので、完全な冗談にも聞こえなかった。もちろん、現役時代のキャリアや第1次政権での手腕から、〝夢物語〟が実現することはなかった。

 「静」の岡田氏に対し、原氏は「動」の人という印象だった。ピンチでは自らマウンドへ行き、選手起用も代打、代走を頻繁に使い、戦術でも積極的に動いた。

 08年シーズンは、次第に「歯車」がかみ合う巨人が後半戦から上昇気流に乗ってきた。原氏の起用に投打の若手たちが次々と応え、主力だった阿部慎之助選手、小笠原道大選手、アレックス・ラミレス選手らが打ちまくり、9月には32年ぶりの12連勝。

 猛烈に勢いを加速させる巨人に対し、阪神は主力が北京オリンピック(五輪)代表に招集され、戻ってからもけががあるなど、調子が上がらなくなっていた。10月10日、巨人が神宮球場で東京ヤクルトスワローズに勝利し、阪神が敵地で横浜ベイスターズ(現DeNAベイスターズ)に敗れて雌雄が決した。

 ともに働き盛りだった50歳。溌剌とした表情で歓喜に酔いしれた原氏に対し、11月に一つ年齢を重ねる前の50歳であった岡田氏はシーズン終盤、ストレスから不眠にも悩まされた。原巨人の大逆転劇を見届け、岡田氏は球団に自ら「引責辞任」を申し出た。

 日本シリーズに望みをつなぐクライマックスシリーズでは、自らが救援の柱に据えた藤川球児が決勝打を浴びて中日に敗退。泣き崩れる守護神を「お前で終わってくれてよかった」と大粒の涙を流してねぎらった。


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