真相不明の義烈団に迫る
関東大震災が起きると、朝鮮総督府や内務省などは義烈団の動きを警戒した。韓国の義烈団研究では、震災前、秋に予定されていた皇太子の結婚式あたりの暗殺・破壊計画を目論んでいた可能性があるとしている。震災時の朝鮮人に関する新聞記事には、秋の皇太子の結婚式の際の陰謀を企てていたが、震災発生により計画を変更し、事を起こそうとしたというものもある。
しかし、震災時に義烈団が破壊活動を行った確たる証拠はない。また、朝鮮人による組織的犯罪行為の確認はできない。こうした噂や証言は震災前の義烈団に対するイメージから生み出されたものか、あるいは潜伏した義烈団員の中に拘束・尋問を受けてそのように話した者がいたのか真相は分からない。
いずれにせよ、暗殺・破壊活動による朝鮮独立を目指していた義烈団にとって、大震災はまたとない機会であったはずで、実効性のある計画を立てていたのであればそれを前倒しにすることもできたであろうが、それはなかったとみられるのである。
翌24年1月、団員の金祉燮が拳銃などを所持し上海から入国、皇居二重橋付近で爆弾3発を投げつける二重橋爆弾事件を起こしているように義烈団の活動はその後も続いた。
しかし、3月に団員・尹滋英らが離脱して青年同盟を作り、暗殺・破壊活動のみによる独立運動への批判が始まる。団員は命賭けで任務を遂行しているのに、功績は全て「安全地帯に身を隠して高みの見物」をしている金元鳳のものになっているというのである。これに義烈団も反駁、暴力を伴う双方の応酬が続くが、結局、義烈団は暗殺・破壊活動路線を変更することになる。
以上、多くの原資料にあたり、不分明だった義烈団の実態を初めて明らかにした功績は極めて大きく、さらに現代韓国の研究状況を的確に検討した点も高く評価される。現代韓国の研究にも刺激を与えるであろうし、異論・批判も待たれるが、今後の研究のマイルストーンとなる書物の刊行をまず何よりも喜びたい。