2024年5月20日(月)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2023年10月27日

 これからの時代のプログラミングとは、簡単なものはAIが書いてくれるし、ダラダラ下手に書いてもAIが直してくれる。例えば、生成AIのChatGPTはそのような使われ方をしている。

 こうした時代にあっては、人間の役割は1ステップずつプログラムをタイプするのではなく、もっと大局観を持ってプログラムの、そしてシステム全体のマネジメントを行う方向に向かうであろう。そこで必要なのは論理を操るスキルであり、それも視野の広い、そして透徹した合理性を確保したスキルである。国家として、プログラミング教育を強化したいのであれば、論理性の基盤としての算数・数学教育の再建からやらねば、全体的な達成は実現しない。

日本で冷遇されてしまっている統計学

 3つ目は、データサイエンスという分野の問題だ。現代社会では、従来から数学と密接に関わってきた工学、金融工学などの分野に加えて、社会科学の領域、あるいはビジネスの領域でもデータを科学的に分析・加工して「世界を理解」しながら「より良い選択」を導き出すための「データサイエンス」が大きく注目されている。

 データサイエンスとは何かといえば、基本的には統計学である。特に近年はCPUやメモリなどコンピューターの性能が飛躍的に向上したことを利用して、従来では考えられなかったような膨大な量の解析を行って、社会やビジネスにおける判断の根拠とするようになってきた。いわゆるビッグデータの活用である。その内容は統計学そのものだ。

 ところが、現在の高校までのカリキュラムでは、統計学は極めて冷遇されている。これを復活させるだけでなく、現代のニーズに適した高度な内容を教えなくてはならない。

 現在、日本の大学教育ではようやくデータサイエンスの専攻が設置されるようになってきたし、今後は学部段階、あるいは入学時の学部学科選択の1つともなってくるだろう。だが、高校レベルで統計学の基礎を叩き込んでおかねば、大学のカリキュラムとして国際競争力は確保できない。

 また、海外に留学してデータサイエンスを専攻しようとしても、日本の高校生の場合は統計学という科目がないので、自習して米国の大学レベルの学習をしたことを示すAP(アドバンスト・プレースメント)試験を受けないと合格のための「実力の証明」ができない。改革は待ったなしである。方法論としては、数学とは思考の方向が異なるので「統計学」という独自科目として選択制にしてもいいだろう。

できる子は伸ばす教育を

 4つ目は、カリキュラムが横並びという問題だ。特に低学年の場合に「生活実感」から数値を操作させるシミュレーションを延々と強いるというスタイルが問題だ。乗法(掛け算)とは数値を乗数の数だけ足してゆく演算であり、被乗数(かけられる数)と乗数(かける数)は入れ替えても結果は等しい。

 もちろん、掛け算は足し算より抽象性が高いので、概念が簡単に入らない子どももいるだろう。その場合は、鉛筆が何本か入った袋がいくつなどといった「生活実感のストーリー性」を使って概念理解に到達させる。問題は乗法という概念が既に入っている子どもにも時間をかけて、この「生活実感ごっこ」に付き合わせるということだ。

 公教育はそのように設計されているので、到達度には上限規制がある。そこで、上級学校ではもっと高度な入試問題を用意しないと、学力水準の検査ができない。

 そうなると、経済力のある家庭の子どもだけが塾に行って上級学校に進学するし、そもそも塾などのコストは膨大なので余程の経済力がないと2人や3人の子供の教育はできない。結果的に全体としては少子化になるというわけで、社会の制度設計は破綻している。


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