2024年7月15日(月)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2023年12月6日

キッシンジャーの「ビジネスモデル」

 ニクソン政権後期には国務長官に就任し、ニクソン辞任後を引き継いだフォード政権でも同職を務める。だが、長年にわたって対立してきた国務省内部の反発に加えて、ニクソン政権時代から対ソ政策などで対立し、北大西洋条約機構(NATO)大使として放逐したはずのドナルド・ラムズフェルドがフォードの首席補佐官(75年には国防長官)に返り咲き、その弟子であるディック・チェイニー(後のブッシュ・ジュニア政権副大統領)が次席補佐官(ラムズフェルドの国防長官就任に伴い首席補佐官)に就いたことで、外交政策はもはやキッシンジャーの独壇場とならなくなった。そして77年の政権交代でワシントンの表舞台を去る。

 その後はジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)に籍を置きつつ、回顧録などを執筆・出版した。もっともこれらの内容は、キッシンジャーが自身の評価を吊り上げて偶像化・権威化するため、巧妙に利用されているとも言われる。

 その上で、82年にはコンサルティングとロビイングを専門とする「キッシンジャー・アソシエイツ」を設立した。キッシンジャーは「中国の古き良き友人」として、その人脈を全面活用し、改革開放によって急速に拡大する対中ビジネスの主要窓口として私利を追及し、大きな成功をおさめた。

 こうして自身の名声と会社を基盤として、政界、実業界、学界にまたがる人脈と情報の関門を作り上げ、これを拡大する米中関係の構造の中に置くことで、両国での影響力を維持した。言い換えれば、米中関係の安定的発展こそが、彼の利益と影響力の実質的な源泉となった。

 この大きな構図を維持するため、各方面の多角的な利害を巻き込み、自らに有利な環境へと導く手法は、彼が70年代に実践してきた外交モデルと同一であった。もっとも、キッシンジャーの信念が実現して発展するほど、その維持のため中国側に立った物言いが目立ち、次第に「中国の代弁者」とも見做されるようになっていった。

米中関係の新局面と存在価値の低下

 90年代から21世紀初頭にかけて、米中関係は構造的な相互依存を深化・拡大させる蜜月時代にあった。これこそキッシンジャーが望んだ構図の実現であった。

 しかし2010年代に入ると、米中関係は齟齬をきたす。一方が相手に伍すると自ら錯覚するまで成長し、もはや野心を隠さなくなった時、競合と対立は不可避となる。しかも、その最高指導者はかつての集団指導制を破棄し、独裁体制を確立した。この根本変容は、キッシンジャーの信奉した「勢力均衡」や「相互進化」の大前提を崩し、両国関係は後戻りが利かない新局面に入った。

 こうした中でトランプ政権の最初期、キッシンジャーが外交助言者として再登場し、かつての「秘密外交」もどきの訪中を行ったことに、筆者は強い違和感を覚えたものである。本来、巨大化・複雑化した米中関係を担うのは、国家・官僚機構の多元的メカニズムであり、個人的関係や伝説化した権威をベースとしたキッシンジャーの役割が、時代と共に失われるのは当然であった。だが彼が再登場したことは、彼自身が米中関係の将来に強い危機感を抱いていたと同時に、トランプ政権の外交的稚拙を露呈するものであった。


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