戦中戦後を一貫する「啓蒙意識」
この時期のこれまでの演劇史叙述が問題なのは、50年代の枠組みから離脱できず、無名の観客を無視した一定の図式を前提に自己正当化の文脈で語る者が多いからである。商業演劇やレビューなど庶民からインテリまで幅広く愛された領域の検討があまりにも乏しい。
確かに新聞などではそれまで「演劇・映画」と言われていたものが戦時中に「映画・演劇」と地位が逆転し、演劇の評価は低くなっている。演劇人の中には、45年8月の上旬と終戦後の下旬とでほとんど反対の意見を平気で書いている人がいるが、著者は演劇の評価が低くなったためにあまり問題にされなかったのではないかと考察している。
それにしても、国策に利用されつつも、同時に大衆に親しまれた流行歌や軍歌やポスターがなぜ愛され、戦後も口ずさむ人がいたのか。彼らは好戦的だったわけではない。その心性の謎を探求することなく、それらを愛した大衆を指導者意識で断罪し、決められた「ある方向」に導こうとした一部演劇人の特権的スタンス、遂に大衆とは寄り添うことのできなかった戦中戦後を一貫するこの「啓蒙意識」を、著者は最大の問題としている。
例えば新劇人と映画界の関係についても、著者は立体的に描いているので決して叙述は一面的ではないが、考えてみると、これは単に演劇界だけの問題ではなく、思想や文学などあらゆる文化領域にまたがった問題ではないか。演劇界に起こった問題は、この時期の全ての日本文化に関わる問題として今日見直さなければならないことを明らかにした論考・書物といえよう。