2024年10月5日(土)

教養としての中東情勢

2024年7月9日

 ペゼシュキアン氏は選挙戦でヒジャブ強要に反対を表明し、多くの女性や若者がこれに共鳴し、投票率を押し上げたものとみられている。同氏が国民から評価されたはもう1つは欧米との融和外交だ。イラン経済は米国による経済制裁で低迷し、通貨リアルが暴落。インフレも約40%と高止まりし、国民の窮状は深まっている。

 「イランを救え」をスローガンにしたペゼシュキアン氏は米国の経済制裁を解除させ、不況から脱却するため核合意再建協議に取り組むことを公約、これが国民の支持を受けた。対してジャリリ氏はヒジャブ強要ではライシ政権の抑圧政策の継続を主張、外交でも米国との対決、ロシア、中国との関係強化を訴えたが、国民からノーを突き付けられた格好となった。

投票の呼び掛けが逆効果

 しかし、保守派の最大の敗因は国民の不満と怒りが極限まで高まっている現実をみくびったことだろう。そもそもイランの国政選挙では護憲評議会(12人)が事前にイスラムの教義に照らして資格審査を行い、保守派以外の候補を排除する仕組みがある。今回もハタミ元大統領ら70人が排除され、残った6人のうち、5人は保守派で、ペゼシュキアン氏が唯一の改革派候補だった。

 なぜペゼシュキアン氏が最後まで候補として残ったのか。それはあまりの“出来レース”だとシラケ切った国民が選挙をボイコットし、投票率が下がって選挙自体の正当性が問われかねないからだ。最高指導者のハメネイ師も「国の存続と尊厳は投票率にかかっている」と国民に呼び掛けていた。「ハメネイ師はよもや保守派候補が負けるとは思ってもいなかったが、選挙結果を受け入れたのはロシアなどよりずっと民主的だ」(ベイルート筋)。

 しかし、結果としてはこうした呼び掛けが保守派にとっては逆効果になった。保守派が選挙を甘くみていたのは保守派候補の一本化が遅れたことにも表れている。第1回投票で保守票を合計して1位を取れなかったのは、危機感が薄くなって土壇場まで候補の一本化ができなかったものと言える。

新大統領の横顔

 ペゼシュキアン氏とはどんな人物なのか。心臓外科医から政界に転身した「穏健な独立派」というのが一般的な評価だ。

 保守派から距離をおくが、急進的な改革派ではない。イラン最大の少数民族アゼリ人出身の69歳。北西部の西アゼルバイジャン州で生まれ、革命をけん引した故ホメイニ師の思想に共鳴し、親米王制への反対運動に加わった。

 イラン・イラク戦争では従軍医師として前線で命を賭けた。改革派のハタミ政権では保健相として5年間、地域医療の普及に尽力した。

 2006年から国会議員。13年と21年の大統領選挙で立候補の届け出をしたが、資格審査で失格しており、自身も保守派の壁に阻まれた経歴を持つ。16年から4年間、国会副議長を務めるなど、同僚議員からの信頼は厚い。

 今回の選挙では熟練のテクノクラート・チームがペゼシュキアン氏の政策などをまとめ、支えたとされる。改革派のハタミ元大統領、穏健派のロウハニ大統領らからの支持を取り付けことも当選に役立った。


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