今回の選挙で、ビヨンセの楽曲「フリーダム」がハリス陣営に力を与えるのは、ビヨンセの人気だけによるものではない。この曲は前述の「フォーメーション」が収録されていたのと同じ2016年のアルバム『レモネード』の中の作品で、20年にジョージ・フロイド氏が白人警官に殺された事件に抗議する運動の讃歌として使われた、強いメッセージ性を持つ曲である。
そもそもビヨンセが莫大な私財を投じてまでハリスを当選させたいと考えるのは、ひとえにトランプの当選阻止を狙っているからである。自由と多様性を重んじるビヨンセにとってトランプの再来は悪夢でしかない。差別が横行する過去へと戻そうとするトランプに対し、「自由よ、わが身を解放せよ」とビヨンセは歌う。
「昔に戻りたい」力に勝てるか
米国で建国時から今日まで大切にされてきた政治文化の概念が三つある――自由、平等、民主主義である。この順番が重要であり、米国人は何よりも自由を大事にする。英王ジョージ三世による抑圧に命を懸けて戦って独立したのも、自由を欲したからである。
実は自由を貴ぶ歌は、大統領選挙において建国期から謳われてきた。最初の大統領選挙キャンペーン・ソングとして挙げられることも多い「アダムズと自由」という曲のアダムズとは、第二代大統領ジョン・アダムズのことである。第三代大統領トマス・ジェファソンのための曲「ジェファソンと自由」は「自由の息子たちは高らかに謳う、恐怖の治世はもう終わりだと」と自由が恐怖に打ち勝つ様を謳ったものである。つまり、建国期から米国人は歌が人を動かす力の大きさを知っていたのである。
一方、トランプ陣営は、ビヨンセがハリスに公式に使用を許可した「フリーダム」をBGMにトランプが飛行機のタラップを降りて来る映像を民主党大会中にネットへ勝手に上げた。このことから、トランプ陣営もビヨンセの影響力の大きさを利用しようとしていることがうかがえる。
ハリスはこの選挙戦を、「過去に戻そうとする」トランプと「明るい未来を信じる」自分たちとの戦いと表現した。言い換えれば、多様性を大切にする者たちと、多くが抑圧されていた昔を懐かしむ者たちとの戦いである。白人が支配するエンターテインメント業界で耐えてきたビヨンセの過去の歩みと、弱者に寄り添う彼女の姿勢を知る米国人の心をつかむビヨンセの歌声は、ハリスの選挙の後押しとなるだろう。
しかし、昔に戻りたいと考える人々の力はいつの時代も侮れない。白人男性が白人男性らしく生き、非白人が分を弁えて暮らしていた時代に戻るのか、それとも様々な異なった生き方が尊重される未来が支持されるのか、次の大統領選挙で試されるのはそういった点でもある。