2024年8月30日(金)

オトナの教養 週末の一冊

2024年8月30日

スケープゴート探しの側面

 本書では具体例として、フランス北東部ロレーヌ地方の村で起きた1602年の魔女裁判の記録を載せている。放牧絡みの暴力事件を発端として、娘が隣家の孫娘から祖母のサバト行きの話を聞き出し、それを下女も証言して、最終的にある家の祖父母や両親ら5人が火刑、親族2人が鞭打ち刑に処された。

「なぜこの裁判を取り上げようと?」

「南ロレーヌ地方は魔女裁判の盛んな土地で3000もの裁判記録があります。ただ、多くは無味乾燥な記録ですが、この件は家族関係、隣人関係などがはっきりしていて、被告の言葉も残っていたので再録しました」

「サバトとは、ヘブライ語で“安息日”のこととか。反ユダヤ主義と魔女狩りの関係は?」

「あります。とんがり帽子やかぎ鼻などの外見はユダヤ人由来、魔女の踊りもユダヤのダンスになぞらえられることがありました。ヨーロッパでユダヤ人追放令があってユダヤ人口が減った後、魔女狩りがはやったのですが、悪魔崇拝で子どもを殺すとされたユダヤ人像が魔女像にも仮託されたんですね」

 ちなみに、箒にまたがり空を飛ぶ魔女のイメージは、ギリシャ・ローマの女神やゲルマン民族の農耕儀礼から来ている、とのこと。魔女は各民族の歴史のごった煮から生じたのだ。

 魔女狩り最盛期の16、17世紀は小氷期の時代でもあった。寒冷な時期が続き、食料不足、飢饉、疫病が蔓延した。また15世紀末からの大航海時代により、大量の金・銀がヨーロッパに流入し新興階級が勃興、社会の階層分化が進み、旧来の共同体が至るところで崩壊した。

 魔女狩りは、そうした各地の騒乱の、スケープゴート探しの側面もあった。

「18世紀になって、理性重視の啓蒙主義が広まると、魔女狩りも急速に止みますね?」

「ええ。18世紀後半、フランスやイギリスでは司法の中央集権化が進行し、上訴制も機能し始めて、不合理な魔女裁判が開けなくなります。フランス全土で魔女裁判の法的訴追が禁止されたのは1682年のことですね」

「でも、東欧や北欧では18世紀になっても魔女裁判が続き、ドイツでは18世紀後半まで続いた?」

「現在のドイツ、当時の神聖ローマ帝国は中小の領主国の寄せ集めだったので、司法の中央集権化が進行せず、下級裁判所の独断的裁決が遅くまで残ってしまったのです」

 池上さんは〈おわりに〉で、「ヨーロッパ史の光と闇はいつも一体」と述べ、魔女狩りは「理性や合理主義が罠にはまったからこそ起きた」と記している。これはいったい、どういう意味ですか?

「16世紀に思想家のモンテーニュがすでに言っているように、理性は暴走するんです。ヨーロッパ人は理性や合理を生んだ自分たちの社会を、そうでない人々を排除することで成立させようとしてきた。古代ギリシャではバルバロイ(異民族)。中世ではイスラム教徒やユダヤ人。近世では魔女や植民地のインディオ(先住民や奴隷)が排除の対象でした。自分たちのアイデンティティの確立のためには、排除すべき他者が必要だった。ですから、16世紀から20世紀にかけて世界中に植民地主義が広まると、ヨーロッパ流の合理主義や科学主義がグローバル・スタンダードになったけれど、同時に差別や格差も拡散しました」

 現在、我々が見ている多くの国のいびつな経済構造、ますます増える専制国家、止むことのない地域紛争……。魔女狩りの余波は今も続いているのだろうか?

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