例えば、半導体製造に欠かせないフォトレジストや液晶パネル用の偏光板フィルムのシェアでは、JSRが世界的なリーダーである。また、オリンパス、ペンタックス、富士フイルムのシェアを合わせると、医療用内視鏡で80%以上、特殊内視鏡では100%だ(いずれも2022年度)。
このように、多くの主要な川上のセグメントで日本企業がグローバル・バリューチェーンを支えるキーテクノロジーを有しているのである。それらは目に見える「最終製品」ではないことも多いため、国内外の消費者はこうした日本の中間財の技術や生産設備の重要性に気がつきにくい。だが、この「ジャパン・インサイド」は日本の強力な強みである。それは、ある分野において「他の国が真似できないことを持っている」ということだ。
変化の「遅さ」は停滞か?
シリコンバレーは「お手本」か?
私が「日本の再浮上」に期待できるとみるもう一つの側面は、進捗の「遅さ」である。時にはイライラが募り、無能だと誤解されることさえある。ただし、「遅い」からといって日本が停滞しているのではない。これは社会に損害を与えず「安定」を享受することと引き換えに日本が支払っている「代償」だと捉えることもできる。
1980年代に筆者が留学生として初めて訪日した時、多くの工事現場に「安全第一」と書かれた旗が掲げられていた。大勢の日本人が絶えず安全に気を配っていることは、諸外国と比較して規則や規制が多いことにも表れている。慎重でルールをよく守ることは日本人の文化の一つである。
米スタンフォード大学ビジネススクールのミシェル・ゲルファンド教授の研究によれば、日本は世界で最もタイトな民主主義先進国のひとつである。「エレベーターの中で食事をしてもよいか」「歩道で歌うことに問題はないか」など、公共の場における特定の行動が適切かどうかを評価すると、ほとんどの人に「強い合意」がある。タイトな文化では多くの場合、予測可能性が高いことやルーティンが強く好まれる。日本の電車の定時運行はその代表例だろう。
一方で、同じ研究の中で米国はルーズな文化の国の一つとされている。その中でも、最もルーズなのが、シリコンバレーを含むカリフォルニア州である。ただしここで重要なのは、タイトな文化であれ、ルーズな文化であれ、それは単なる「違い」にすぎず、評価の善しあしを示すものではなく、得意なことが異なる可能性があるということだ。例えば、前者が細部へのこだわりと相性が良いのに対し、後者は迅速なイノベーションに向いているかもしれない。
日本の変化のスピードが「遅い」のは社会的選択によるものだということもできる。これが、経済的な繁栄と安定した社会を両立させる新しいシステムを見つけるという独自の道につながっている。日本を「遅れている」と考える人々の多くは、シリコンバレーと比較してそう言っているのだろうが、これは誤解を招く。日本のタイトな文化とシリコンバレーのルーズな文化を比較するのは、リンゴとオレンジを比較するようなものだからだ。
たしかに、シリコンバレーの流動的で高速なアイデア市場は、外部から見ると魅力的だが、内部の実態は「食うか食われるか」の環境であり、社会や人間のウェルビーイングの大きな犠牲を払っている。誰もが知る一つの成功企業の背後には、聞いたことのない失敗企業がごまんとある。日本はこれとは対照的に、大勢の犠牲の上に一握りの成功者を生む「焼き畑」方式にあまり寛容ではない。シリコンバレーの仕組みを単に模倣するだけでは、成功の可能性は低いだろう。
それに関連して、最近の米国社会は正常な状態ではなくなりつつある。なぜだろうか。私は、経済のみならず社会も「金融化」し、全てが「取引」になっているからではないかと思う。