大型化・集中化の歴史
電力の「刺身化」
歴史的には、日本の地方では戦前から戦後の早い段階までは、小水力による発電が行われてきた。例えば地域の木材を利用するために製材所が建設されると、その電力を補うために地域に発電所が建設されるといった具合である。しかし、国策による発電会社の統合と大規模化によって、そのような小さな営みは徐々に失われていった。大型化・集中化することで、安定した(高品質の)安い電力供給を実現する一方で、小規模な発電所を開発するための水車や発電機、各部品などを製作する産業構造自体も衰退していった。
他方、イタリア、ドイツ、チェコ、オーストリアなどの欧州諸国では、大型発電所の開発を進める一方で、小水力発電の営みも途絶えることなく生き残り、それとともに小水力用の水車開発技術も進化させてきた。日本の水力発電技術は決して世界に引けを取らないにもかかわらず、安価で優秀な国産水車が少ないのはそのような歴史によるものと考えられる。
日本における電力をはじめとするエネルギーの大型化・集中化の歴史は、日本人のマインドにも大きく影響した。分業化・専業化を極めた効率重視のエネルギーシステムは、一般国民からエネルギーへの理解を徐々に遠ざけ、電気は「コンセントから自動的にやってくる」存在となった。これはまるでスーパーに並んでいる刺身をみて、海の中を泳いでいる魚の生きざまに思いを馳せる消費者がいないのと同じようなものである。
こうした状態を東北大学大学院教授の新妻弘明氏は当時、「エネルギーの切り身化」と評したが、富山県在住の筆者としてはあえて「刺身化」と呼ばせていただく。刺身化されたエネルギーシステムの中で、ひとたび停電に見舞われた国民にできることは「電力会社に電話する」ことくらいである。このような電力集中化の歴史は、国民の電力に対する重要な知恵(リテラシー)を失ってきた歴史ともいえる。
※こちらの記事の全文は電子書籍「エネルギー確保は総力戦 日本の現実解を示そう」で見ることができます。