普段考えないことだが、私たちの日常は多くの人々の大事な仕事によって支えられている。
例えば、ごみ収集する人が来なければ、保育園や学校の先生がいなければ、看護師や介護士がいなくなったら、スーパーなどの店員、配送のドライバーがいなかったら、私たちの生活は見る間に混乱し、いつもどおりに生活を過ごすことはできなくなるだろう。
また、日本は災害大国である。ひとたび台風や地震により被害が生じれば、水・電気・通信・ガス・交通などのライフラインの復旧、がれき撤去や道路・建物の修繕・新設のために働く人が必要だ。彼らの存在なしに、元の生活に戻るのは困難を極めるだろう。
生活の基礎を支える人々は、政府から、新型コロナウイルス感染拡大時にも働き続けてほしい「社会機能維持者」「エッセンシャルワーカー」と位置付けられ、彼らのおかげで私たちの生活は日々無事に保たれている。
ところが、気がつかないうちに、社会に不可欠な仕事をしているこれらの人々の労働条件は悪化し続けており、その結果私たちの日常生活には危機が忍び寄りつつある。
長期的な構造的変化はなかなか取り上げられず、認識されづらい。時折、保育園や介護施設での虐待事件、教員不足問題、建設業での人手不足による作業遅延、運転手の過労によるバス事故など、隠れた問題が表面化する。しかし、それらは氷山の一角に過ぎず、より大きな問題が水面下で進行していることは十分に知られていない。
人類学者のデヴィッド・グレーバー氏が著書『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)の中で述べているように、人々のために働く「本物の仕事(リアルジョブ)」の報酬や処遇が冷遇され、代わりに金融コンサルタントやロビイストなど、それらの存在が消えても私たちの日常生活に支障のない人々が巨額の高給を得る「倒錯した関係」はどうして生じてしまったのか。『エッセンシャルワーカー 社会に不可欠な仕事なのに、なぜ安く使われるのか』(田中洋子編著、旬報社)から考えてみよう。