Wedge REPORT

2014年2月14日

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 横田は、父が約50年前に大田区で創業した京浜精密製作所の2代目だった。ステッパー(半導体素子製造装置)などの光学機器や放送機器の部品をつくる京浜精密は、創業当初から一社依存体質。横田は2008年6月に社長職を継いだが、その年の秋にリーマン・ショックが発生した。月に3000万円あった取引は、3万円にまで落ち込んだ。

 そうはいっても材料はたっぷり倉庫に積み上げてある。精密機器のための特別な材料ばかりで、他の使い道はない。予定発注をした大手に掛けあっても相手にされない。それどころか、突然、格付けリストが送りつけられてきた。「危険水域のため今後の取引は難しい」。数十年の長期取引は無残に散った。

 そのあとは坂を転がり落ちた。ランニングコストが払えない。経理の机からは見知らぬ滞納の請求書が出てくる。社員一人ひとりと面談し、事情を説明するが、「経営者が悪い」と退職が相次いだ。税務署に頭を下げ、銀行には資産を処分して存続させたいと何度も持ちかけたが、まともに取り合ってもらえない。

 悩む横田を受け止めたのが前出の細貝氏だ。横田は会社を閉めることを決断し、細貝氏からの出資でナイトペイジャーを設立した。

ナイトペイジャー・横田信一郎さん(44)。60畳ほどのスペースにNC旋盤やマシニングセンターなど加工機械が所狭しと並ぶ(撮影:編集部)

 ナイトペイジャーとは、もともと京浜精密のなかで横田が立ち上げた部門の名称である。小さいころからものづくりが大好きで、一社依存体質に問題意識を持っていた横田は、90年代から独自の商品開発を始めていた。まずは好きな自動車のパーツ作りから始めた。

 「流行していたターボエンジンのパーツを作って、雑誌に広告を入れた。ひとつも売れなかった」

 20名程度の社員の多くは高齢者。社内に新事業に取り組む雰囲気はない。それでも横田は諦めず、若い社員たちを巻き込んで、商品開発と営業活動を続けた。10年ほど経ったとき、カーレース用に作ったパーツが評判を呼び、障がい者の人たちから、自分たちにカスタマイズされた部品を作ってほしいと頼まれるようになった。いつしか、ナイトペイジャー部門は、本業の浮き沈みを吸収するほどに成長していた。

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