社会人になった際、私の就職した銀行は、その年からパソコン(PC)研修を行い現場に配属された。業界動向、市況などをヒアリングに伺いつつ、鉛筆による達筆な文章を読みやすい文字で埋めていく先輩方の姿には正直感動した。諸先輩からは、私たち平成元年組はPCを自在に操り、きれいではあるが、画一的なPC書体で文書をまとめるテクノ新人類として、不思議がられたものだ。
市場調査を行うにも新聞データベースはあるが、インターネットはほぼ使わないので取引先に行ってはデータを貰い、読むべき本を借りた。わからないところは専門書だけを集めた業界ごとの図書館に行っては調べた。休日の図書館通いは日課だった。
銀行からソニーに移り、実に驚いたのは日経新聞を読んだことのないエンジニアが多数いたことである。様々な出自の人で構成される新サービス開発においては、マジックペンでOHPシートに書き込み、それを投影して議論することが日常風景であった。
40歳のとき、経済産業省に中途採用で入ると自身の文章力の衰えを痛感した。絵を描く官僚などと某新聞に珍しい中途採用として取り上げられたが、本人としては必死であった。幸い上司が徹底的に「てにをは」から直してくれる方で、また同僚にも警察庁、特許庁からの出向者の文章力、論理展開の神様のような方が多く日々勉強になった。
文章力というのは何を意味するのか?
日々企業コンサルティングをしていて思うのは、いずれの企業でもパワーポイント(PPT)の経営資料は大変読みにくいということである。本来、PPTはスライド投影して、みんなで概念を共有、ブレストするには向いている。図と文章が大量に埋まっていると安心する傾向があるが、一つ一つ見ていくと、論理展開上おかしいもの、文章としてまとめていないものが多々見受けられる。
経産省の当時の上司のおかげで、たいがいのことはPPTではなく、文章としてまとめる力を取り戻した。本来は企業戦略であれ、都知事選挙の政策ビジョンであれ、文章の難易度や展開の複雑さにかかわらず、要約してまとめることも詳細に論述することもできるはずだ。