2025年12月5日(金)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2025年2月18日

「勝ち組」に乗るというだけで変わるコメント欄

 明らかに白がクロに変わるような事実誤認が判明して、善悪がひっくり返るのであれば、そのような主張の変化は山のようにある。けれども、女子アナウンサーに対する視線ということでは、依然として問題は深刻だったことは次々に明るみに出る中で、事件の全体構図が変わったわけではない。大きな問題として事件を捉えるのであれば、訂正内容は微小な部分に過ぎない。

 では、どうして報道のトーンが変わって行ったのか、それは、ウェブ、そしてSNSや動画サイトで活動している、多くのライターが「価値評価」を重視していないからだ。価値評価が前提ではなく、その瞬間瞬間の気分で揺れ動く「勝ち負け」だけを問題にしている。具体的には、その時点での「勝ち組」に乗ろうという動機で動いているからだ。

 その背後には、ビューを稼ぐことがダイレクトに収益に結びつくというビジネスモデルがある。加えて、世論の「人情の機微」が古典的な価値評価とは別の尺度、つまり本能的な感情論など複雑な心理によって動く、そのことを前提に報道を考えているということもあるだろう。

 考えてみれば、2008年に始まった小泉改革は、今から考えれば郵政事業を民営化したら民間活力で経済が再生するなどという、それこそ絵に描いた餅のような話であった。だが、当時は「ふわっとした民意」の「風」が吹くことで、そんな材料で5年の長期政権が引っ張れたのである。ちなみに、小泉純一郎氏も敵を作って叩く効果を計算するのが得意であった。

 小泉氏の名誉のために言えば、非常に稚拙で部分的なものであっても、当時の改革キャンペーンには思想的な背景はあった。経済成長が必要であり、それを阻害する既得権益を削減するのは正しく、民間の市場活力に委ねる方が上手くいくというのは、一般論としては成立する考えだし、正しかった。だからこそ当時の世論は期待したのであった。

 問題はこの「ふわっとした民意」の軽さ加減、移り気な加減のターン(周期)がどんどん短くなっていることだ。ネットの書き手の多くにとっては、その高速に変化してゆく「ふわり」とした民意に乗り、あるいは操作することでビューを稼ぐというのがビジネスモデルとして身に付いていると考えられる。

 例えば、これはプロの書き手ではないが、よく問題にされるニュースの「コメント欄」による「世論」形成がある。政治家や官僚、あるいは経営者などは、この「コメント欄」に荒れ狂う賛成反対の意見を無視することは難しくなっている。けれども、書き込みのパターンを見ればほぼ明白なのだが、コメント欄を制圧している移民排斥、皇位継承、ポリコレ批判などに関する意見は、「いいね」欲しさに書き手は変幻自在に内容を変えて多数派に付いた結果であるようだ。

 つまり、本当の民意のサンプル調査にならないどころか、コメントの熱意から背後に訴えの強度を量ると言うのも、実はナンセンスだったりする。コメント欄では、ある宮家を叩けば、あるいは西川口のクルド系を叩けば「いいね」が稼げる、あとはレトリックと語彙の職人芸を競うだけ、そのような傾向だ。


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