2024年11月22日(金)

この熱き人々

2014年4月9日

 自分は何も変わらなくても、周囲はやはり変わる。注文も100個以上と本人が把握できないほどの数が完成を待っている。手間のかかるものだと1つ作るのに1カ月はかかる。

 「それだと1年に12個ほどや。えらいこっちゃ。在庫は1つもないし」

 そう言いつつ、気にしている様子もあわてている様子もない。不思議なオーラが人間国宝という4文字の重々しさや緊張を溶かしていく。

 「作家? そりゃ家を作る人のことか? わしゃ職人や」と笑い飛ばしてきた灰外は、師匠を持たず、たったひとりで試行錯誤を繰り返しながら、経験を積み重ねることで一流の職人に自らを作り上げてきた。その魂の自由さは、紫綬褒章の受章や人間国宝の認定で周囲の目がどれだけ変わろうともビクともしないのだろう。灰外のものづくりを支えてきたのは、これで面白いものができるかもしれないという好奇心と、ひとたび動いた心に忠実に周到な実験を繰り返し、細心の注意を払って努力を最大限に傾ける姿勢。

 ふと目を廊下に向けると、そこには巨大な皿がドカーンと鎮座ましましていた。これも灰外の作品。39歳の時には、ギネスブックに載った直径6尺(約1.82メートル)の日本一大きな皿を作って話題になっている。その3年後には、2メートル×6メートルのこれまた日本一大きな陶板の焼き上げに成功。1994年には、直径7尺(約2.12メートル)の日本一の古九谷写大皿を制作し、加賀市の十万石まつりではこの古九谷大皿を神輿に載せ、毎年地元の若い衆が担ぐ。大皿に挑戦するきっかけは、飾り皿のための木の台を頼まれた折のこと。6尺の大皿ができるかできないかで言い争いになり、できると言って陶芸家から笑われた。それならと、陶芸に挑戦。

 「もしできたら面白いなあと思ったから。窯も自分で造った。親が炭焼きやってるのを見てたから造れる。土づくりも自分で研究したんや。土の腰が強くなければいかん。山育ちで木をずっと見てきたから、木は土の上に生えとんやから、木を見れば土がわかる」

 自分が面白いと思っていることをできないと言われると、やってみにゃわからん、やったるわいという方向に思いきり舵が振れる。振れたらもう誰も止められない。借金もハンパでなく膨れる。傍らで笑って聞いていた奥さんが、「借金もだけど、腰を痛めました」とひと言。焼き上げた300キロ以上の皿を2人で持ったのだそうだ。その時に灰外が言ったのは「腰が抜けても落とすな」だったという。

 笑い話にして夫婦で語る炬燵(こたつ)の上の湯飲み茶碗は、これまた化石が寄り集まってできた珪藻土(けいそうど)で灰外が作ったもの。とても焼き物にはならないとされた故郷の能登半島・珠洲(すず)の珪藻土を、長年の研究でついに見事な茶碗に焼き上げた。


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