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2014年4月3日

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弓野正宏 (ゆみの・まさひろ)

早稲田大学現代中国研究所招聘研究員

1972年生まれ。北京大学大学院修士課程修了、中国社会科学院アメリカ研究所博士課程中退、早稲田大学大学院博士後期課程単位取得退学。早稲田大学現代中国研究所助手、同客員講師を経て同招聘研究員。専門は現代中国政治。中国の国防体制を中心とした論文あり。

 残酷な戦争の環境下で多くの志願軍烈士たちは朝鮮半島に埋葬され、単に埋められた者たちもいた。2013年になって中韓両国の指導者は韓国で埋葬された志願軍烈士の遺骨の交換について意見を交わした。双方は2度にわたる交渉を経て共通認識を得た後、共に韓国の坡州市に埋葬されている志願軍烈士を掘り起し、整理して、検視、引き渡しを行うことになった。

 3月28日(今年:筆者)に437柱の中国人民志願軍の遺骨が韓国から祖国に帰還した。軍事科学院の軍事歴史・百科研究部の齐徳学副部長は「第二次大戦後、初の大規模な国際的な局部戦争」と定義している。中国側の統計では、1950年10月25日から1953年7月27日の間に志願軍は71万余の敵を射殺するか捕虜にし、自身では36万6000人減らし、うち11万5700人が犠牲になり、22万1000人が負傷し、失踪もしくは捕虜となった者は2万9000人に上った。

 「抗米援朝」戦争期間の戦況はとても複雑で、作戦地域は頻繁に変わり、烈士たちの埋葬と遺骨の捜索は解決困難で解決されないまま長い間遺留することになった。齐徳学は戦争期間中に多くの烈士たちの遺骨輸送は時と労力だけでなく、「国連軍」が情勢を制圧する中では実施が困難だったと説明する。当時、戦場で犠牲になった志願軍烈士は、一部の送還された大隊長以上の幹部や「戦いでの英雄」(表彰された者ということだろう:筆者)以外はほとんどが朝鮮半島の大地に眠っているのだ。

1年近くの協議を経て、遺骨送還が実現

 「祖国と人民は決して忘れない」というのが追悼の言葉となっている。しかし「忘れない」だけでなく、行動が大切だ。2013年6月には韓国の朴槿恵大統領が訪中した際、劉延東副総理に一部の烈士の遺骨送還を提案した。劉副総理は感謝の意を示し、落ち葉は根に帰る必要があり、どんなに遠くまで行っても祖国に帰るべきだ、と述べたという。そして二つの国のいくつかの部門間で1年近くの協議と努力が行われ、437人の老兵たちがやっと故郷への帰途についたのである。

 1953年7月27日に停戦になってから、志願軍の烈士の遺骨や埋蔵場所の模索が始まった。53年9月には志願軍政治部と軍事停戦委員会が各部隊に対して我が軍側の軍事区域と敵方の軍事区域に入って遺骨運送の指示を通達した。1954年に朝鮮の停戦委員会において志願軍は専門グループを組織し、軍事境界線の南側の韓国国境内から志願軍烈士の遺骨送還任務を担った。「初の引き渡しは1954年9月1日に板門店付近で行われ、我が方は600柱の遺骨を受け取り(北朝鮮軍兵士の遺骨ということだろう:筆者)うち100柱が志願軍兵の遺骨だった」。遺骨引き渡し任務に参加した孫祐武だ。遺骨引き渡し業務で国連軍側が送還した志願軍烈士の遺骨は合計1万柱に上り、その後も引き渡しが僅かながらも行われた。

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