最期の言葉が悪態のことも
医師としては、よき別れのために少しでもお役に立ちたい。だが、現実には、小林麻央さんのように美しく最期を迎える人ばかりではない。
家族に向けて発せられた言葉が「愛している」や「ありがとう」ならいいが、そうではない場合もある。端的に言って、「いい加減にして！」や「ばかやろう！」が最期の言葉になってしまう場合もある。
死の間際は波乱含みである。呼吸困難、倦怠感、激しい疼痛など、さまざまな身体的苦痛にさらされる。夢かうつつかわからない、「せん妄」と呼ばれる状態に陥ることもある。
平生は冷静で知的な人であっても、死の直前には錯乱し、辻褄の合わない言動を繰り返すこともある。悪態、拒絶、罵詈雑言、そういったその人らしくない言動が飛び出すこともある。
その結果、最期に家族に向けて放たれた言葉が、最悪のフレーズになることも珍しくない。そして、それがそのまま故人の「人生の結論」として、遺族の心に深く刻まれてしまうのである。
『北斗の拳』の「ひでぶ！」は「辞世の言葉」ではない
『北斗の拳』では、ケンシロウの連打を受けた相手は、「ひでぶ！」、「あべし！」、「たわば！」などと叫んで死んでいく。これらは、本来、台詞として吹き出しのなかに書かれるべきものではないが、それをあえて書き込んだために、爆発的にウケた。
いうまでもなく、これらは登場人物たちが自身の人生を振り返り、感慨を込めて発した「辞世の言葉」ではない。それは誰かに対するメッセージではない。ケンシロウに別れを告げようとして、「ひでぶ！」と叫ぶわけではない。それはただ、身体が内部から破壊された結果の、苦悩の表現にすぎない。
人は死が近づくと、動物に帰る。野生動物は、死期を察すると、岩陰や木の根元に身を隠し、そこで死を待つ。社会的な動物である人間も、死期が近づくと、真っ先に社会性を捨てる。他者に対する配慮をしなくなるし、そもそもできなくなる。生存のために必要最小限の行動に留める。
しかし、不幸にして、現代社会では、「静かな死」をかなえられる場所がない。病院、施設、自宅など、病床の周囲には、常に誰かがいる。もちろん、皆、病む人を心配してそばにいるのだが、死線をさまよい、もはや他者配慮のできない身には、大きな負担となる。
周囲の家族を「煩わしい」と思ったとしても、苦しんでいる本人の側からすれば無理もない。そのさなかに、苦痛が暴言や拒絶として表現されることはあり得る。
この事情は、ぜひご理解いただきたい。残された家族は、しばしば心痛を表明する。
