2025年5月13日(火)

プーチンのロシア

2025年5月8日

 建物一つ、部屋一つを奪い合うような苛烈な市街戦が半年も続いた末、戦いは1943年1月までにソ連側の勝利に終わる。ドイツ軍・枢軸軍の死傷者は約85万人、ソ連赤軍のそれは約120万人とされ、スターリングラードの一般市民も少なくとも20万人が亡くなったと言われている。

 戦後となり、スターリンが1953年に死去してしばらくすると、生前の独裁・専横が批判されるようになった。スターリングラードという都市名も、1961年に現在のボルゴグラード(「ボルガの街」の意味)に改名された。

スターリングラード攻防戦の勝利を称える「永遠の炎」と、それを守る衛兵たち(筆者撮影)

 ボルゴグラードは、歴史・戦争マニアには良く知られており、日本の広島市とは姉妹都市の間柄だが、一般の日本人には必ずしも知名度は高くなかったはずだ。それが、日本人の人口にも膾炙するようになった出来事が、2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会であった。この街でポーランド代表を相手にグループステージ第3戦を戦った日本代表が、かつてのスターリングラード攻防戦とは真逆の塩試合を繰り広げたことは、記憶に新しい(筆者は擁護派だが)。

「スターリングラード空港」への改名

 スターリンが死後に批判されるようになり、都市名がボルゴグラードに変わっても、当地が大祖国戦争の苦難と栄光を象徴する聖地であることに変わりはなかった。「スターリングラード」というワードも、独裁者の評価とは別に、神聖な響きを帯びてきたのである。それゆえ、プーチン体制下で愛国主義的な風潮が強まるにつれ、都市名をスターリングラードに戻すべきだという議論が、再三持ち上がるようになった。

 それに関連して、今般、大きな動きがあった。4月29日にプーチン大統領が署名した大統領令により、ボルゴグラードの空港に「スターリングラード空港」という名称が冠されたのである。果たしてこれは、街の名前をスターリングラードに戻すことを見据えた布石なのだろうか?

 ちなみに、この改名に先立っては、次のようなやり取りがあった。29日にプーチン大統領は現地を訪問してボルゴグラード州の知事と面談した。知事は、大祖国戦争の退役軍人や対ウクライナ軍事作戦の参加者からスターリングラード空港への改名を求める要望が寄せられているとして、その変更を大統領に直訴した。

 これに対してプーチン大統領は、「私にとり彼らの言葉は法律だ。モスクワに帰ったらすぐに大統領令を用意する」と言明、実際その直後に大統領令を発令した、という経緯である。このような重要事項を下からの提案で即決するとは考えにくく、クレムリンが描いた筋書きだった可能性が高そうだ。


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