ナイ氏は狭い意味での平和主義者ではなく、軍事より文化が重要などというイデオロギーの信奉者でもない。あくまで冷徹なリアリストであり、軍事力の均衡というものは極めて重視している。
これに加えて、「ソフトパワー」が加わることで、より強靭な抑止力や同盟関係の緊密化が図れると言っているだけだ。この点については、訃報とともに改めて誤解が広まっているが、直ちに修正をお願いしたい。
リアリストとしての「知日派」
2つ目は、知日派という形容詞だ。90年代のクリントン政権の初期にあたって、台頭しつつあった鄧小平、江沢民、朱鎔基の中国とのチャネル構築を優先し、日本が外される、つまり「ジャパン・パッシング」という状態に陥っていたのは事実だ。ナイ氏はこれを大きく修正し、日米同盟を再定義しながら強化するよう主導したのも事実である。
けれども、ここで言う「知日派」というのは、例えば日本の歴史に独自の観点を持ち込んだエドウィン・ライシャワー、源氏物語の翻訳に取り組んだエドワード・サイデンステッカー、坂本龍馬再評価に功績のあったマリウス・ジャンセンなどの各氏とは全く異なる。「ソフトパワー論者」というイメージから来るのか、ナイ氏は日本文化の信奉者という印象論があるがそれほど単純ではない。そうではなくて、リアリズムの観点から、自由と民主主義、自由経済という共通の価値観をベースとした新たな日米関係の構築を進めた人物である。
その限りにおいては、例えば軍事力と並ぶ「ハードパワー」の両輪である経済について、日本が低迷から脱するように厳しく奮起を促したこともあるし、軍事費の応分の負担を要求したこともある。イラク・アフガン戦争に際して、関与を渋る日本に対して明確なコミットを要求したのもナイ氏である。
日本では知られていないが、米国の国務省の官僚や国際政治分野における日本研究者などの多くは、無条件の日本信奉者ばかりではない。反対に、日本の政官界の姿勢には疑問を持っている人も多い。
例えば軍事という「リスクと犠牲」を米国に依存していながら、軍事費負担のことを「思いやり予算」などと呼んでいるのは、実は米国サイドとしては非常に不愉快だという声はある。
また国際連合加盟国、日米安保の当事国でありながら、集団的自衛権に反対するイデオロギー運動についても、米国の軍事外交当局は苦々しく思っていた。さらに言えば、同盟国である韓国との関係を修復できない責任の半分は日本にあるという認識もあったと考えられる。ナイ氏はこうした問題について、決して日本に対しては甘い態度は取らなかった。
