なぜ、転換となったのか
従来の生活保護監査は、不正受給対策一辺倒であったといっても過言ではない。稼働収入の無申告をはじめとした「濫給(らんきゅう・みだりに支給する)」の防止に注力してきた歴史がある。生活保護制度の歴史をひもとくと、暴力団員の不正受給などの悪質事例も含めて、あらゆる方法を駆使して不正受給の防止に努めてきたことがわかる。
これに対して、生活に困窮する人たちの権利をどう守るか、必要な人に生活保護を届けるためにどのような対応をすべきかといった「漏給(ろうきゅう・もれなく支給する)」という視点は相対的に弱いものであった。
厚労省が厳しい姿勢を取る背景には、「不正受給を許すな」という強い国民感情がある。19年に神奈川県小田原市が行った市民アンケートでは、「生活保護の不正受給に対する厳しい対応のあり方は適切であった」とする回答が82%と大多数を占めた(小田原市福祉健康部福祉政策課「生活保護・生活支援施策改善のためのアンケート調査結果」)。国民意識調査をすれば、おおむね同様の結果がでるだろう。
筆者が把握する限り、75年の歴史をもつ生活保護制度の監査方針において、「権利侵害の防止」を第一に掲げたことは聞いたことがない。歴史的な方針転換はなぜ行われたのか。
その背景には、「生活保護の利用者には、どのような非人道的行為をしても許される」と考える福祉事務所の出現や、「本人が言ってこないなら、役所は何もしなくても問題ない」という申請主義のあり方が厳しく問われている現状がある。
生活保護利用者への非人道的行為は許されるのか
国の方針転換に最も大きな影響を与えたのは「桐生市事件」である。25年3月にこの問題をまとめた書籍『桐生市事件――生活保護が歪められた街で』が発刊されている。詳細は本書に譲り、ここでは概要の紹介にとどめる。
桐生市事件は、群馬県桐生市の生活保護行政において、長年にわたり違法・不適切な運用が行われていた問題である。桐生市は、独自の判断で、生活保護費の支給を本来の基準額よりも大幅に減らし、「1日1000円」しか渡していなかった。
この問題は、反貧困ネットワークぐんまの司法書士による調査をきっかけに明るみに出た。市の対応で生活保護利用者数が10年間で半減していたことも判明し、専門家や支援団体が改善を求める要請を提出した。
その後、桐生市は第三者委員会を設置し、調査を進めた。25年3月には報告書が提出され、市の生活保護相談時における違法な対応や組織的な不正が指摘された。市長は市職員による「申請権の侵害」があったことを認めて謝罪し、制度の改善を約束した。しかし、問題の全容解明はまだ道半ばとなっている。
