現代の日本財政の状況は
いわば「満員電車」
「バラマキ政治とクレクレ民主主義」のもとでは、赤字国債の発行という自らはバラマキのコストの一部しか負担しない形で政策が進められ、ツケを子や孫の代に先送りする。
この負担の先送り構造に、国民は気づいていないのか、知らぬふりを決め込んでいるのか、反対どころか、「国債は負担ではない」とか「税は財源ではない」などと主張してさらなるバラマキを要求する始末だ。
しかし、この世に「フリーランチ」は存在しない。これまでのバラマキ政策で、日本政府は約1700兆円もの債務超過に陥っている。日本の財政・社会保障制度を次世代に残そうと思えば、経済成長、インフレ、増税、歳出削減いずれかの方法で債務超過を管理する必要がある。
人口減少や低成長の現代社会では、所得の成長に応じた担税力の改善は期待できず、赤字国債を発行して歳出をいたずらに拡大することは、満員電車に例えることができるだろう。
筆者も毎日経験しているが、満員電車では、狭い車両に閉じ込められた一人ひとりの乗客は非常に苦しい状況にあり、立っているのもやっとの状況にある。また、そうした状況に付け込んで、初めから自立を諦め、他人に寄りかかって安定を図ろうとする乗客が一定程度存在している。寄りかかる方は楽かもしれないが、寄りかかられる側は、自分の安定と他人の体を同時に引き受けなければならず、厳しい状況に置かれる。
しかも、不幸にも満員電車がなんらかの危険を察して急ブレーキを掛けた時には、満員電車の乗客皆が倒れてしまい、乗客同士押し潰されるなど大惨事を引き起こしてしまう。こうした悲劇的な結末を回避するには、電車の容量を大きくするか、満員電車の中で他人に寄りかかる乗客を減らしていくしかない。日本の財政もこれと同じだ。
電車=経済を大きくするためには、経済の足腰を強くしなければならないが、今までの延長線上の経済政策は現実的とは言えない。これまで行われてきた給付金や補助金で需要を喚起するような「経済対策」では経済は拡大しなかったからだ。
電車の中で他人に寄りかかる乗客を減らしていくというのは、肥大化する歳出を削減し、政府からの給付や補助金に頼らずとも独り立ちできるはずの国民や企業、NPOなどを自立させ、本当に助けが必要な主体に給付を集中させることだ。そのためには歳出を歳入の範囲内に抑えるのが効果的だ。例えば、潜在的国民負担率に限度額を設定することで、歳出の際限なき拡大に歯止めをかける必要がある。
そのためには、金融環境の正常化も不可欠だ。本来、政府債務残高の高い国が、安定的な財源の裏付けのない無理な財政拡大策を実行しようとすれば、国債金利が高騰し、市場が政府の財政運営を修正する。
そうした市場規律が政府の無謀な財政運営を修正した例が英国で起きたトラス・ショックだろう。これに対して、日本は日銀による金融抑圧の影響で政府が無理な財政拡大を行っても金利が反応せず、莫大な政府債務というマグマが溜まり、いつ金利高騰という〝大爆発〟が起きるか不透明な状況に陥っている。トラス・ショックの教訓が日本にあるとすれば、財政に市場規律が働く環境を回復することで、安易な赤字国債の発行を許さず、税収増を給付金や減税などのバラマキに直結させず、債務削減に勤しむべきとなる。

