宇賀克也裁判長の少数意見にみる“司法の番人”としての気概
生活保護引き下げ裁判の判決は、最高裁判所のウェブサイトからみることができる(令和5(行ヒ)397、生活保護基準引下げ処分取消等請求事件、令和7年6月27日、最高裁判所第三小法廷)。
判決の概要は、すでに多くの報道機関で解説がなされているので、ここでは改めて紹介しない。注目するのは、宇賀克也裁判長の反対意見のうち、「外部有識者による専門機関による関与」とされた部分である。その一部を引用しよう。
最高裁判所の判決において、国に対して「むしろ部外秘扱いとされ秘匿されていた」とする表現は、最上級に近い批判の言葉だろう。なぜ、ここまで厳しい言葉を使ったのか。
そして、こう思う読者もいるだろう。「部外秘扱いされ、秘匿された公文書の存在は、どのように明らかになったのだろう」。
今回、筆者は独自取材でその公文書を入手した元北海道新聞編集委員の本田良一氏(66歳)にインタビューした。当時の状況を詳しく聞くとともに、貴重な関連文書をご提供いただいた。この場を借りてお礼を申し上げる。
生活保護当事者のために法廷で証言した政府審議会の元トップ
具体的な公文書の内容に迫る前に、判決の内容をおさらいしておこう。
裁判の主な争点となったのは、物価下落率を考慮する「デフレ調整」と、一般の低所得世帯と比較して、世帯人数や居住地などで生活保護利用者間のバランスを図る「ゆがみ調整」の妥当性であった。前者の決め手になったのは、名古屋地裁での証言である。
2013年10月10日、名古屋地裁で行われた原告側証人尋問において、ジャーナリストの白井康彦氏(元・中日新聞社)に加えて、元基準部会長の岩田正美氏(日本女子大学名誉教授)が証言台に立っていた。
国側は裁判で、「厚労大臣が物価などの経済指標を活用することについて、基準部会の委員全員の了承を得た」と主張していた。しかし岩田氏は、その主張を真っ向から否定した。そもそも基準部会では、物価の議論をしていなかったのである。
当時のやり取りは、フリージャーナリスト(当時)のみわよしこ氏が詳しく伝えている(みわよしこ「『生活保護費引き下げ』撤回を訴え国と戦う、政府審議会元トップの意地」)。
岩田氏が証言したことによって、デフレ調整が基準部会に了承なしに進められていたことが既定路線となった。しかし、ゆがみ調整は、基準部会が算定したものである。このことを根拠にして、国は基準部会の意見を尊重していると主張していた。この主張が北海道新聞のスクープ記事によって覆されることになる。
北海道新聞のスクープ「ゆがみ調整の2分の1処理」
16年6月18日、北海道新聞の朝刊二面に「生活保護引き下げ根拠 社保審の数値 厚労省半分に抑制」という見出しが躍った。ゆがみ調整の2分の1処理、厚労省が密かに行った基準額の修正処理を報じたのである。
報道の反応は決して芳しいものではなかった。本田氏は「紙面の一面で報じられることもなく、社内で特に話題になることもありませんでした。その後の裁判内容を伝える多くのマスコミ報道でも触れられることは少なかったように、『2分の1処理』がどんな意味を持つのか、理解しにくいこともあったのだと思います」という。
しかし、資料が原告団に提供されて分析が進められることで、裁判を左右する重要書類となっていく。
本田氏が厚労相に情報公開で入手した公文書をみていこう。公開されたのは、全部で8枚。1枚目には赤字で「取扱厳重注意」と記されている(図表1)。
じつは、この公文書はすんなり公開されたものではない。当初、厚労相は不開示決定として、公文書の提供を拒んだ。これを不服とした本田氏が、異議申し立てをしたのである(筆者注:現在は法改正され審査請求となっている)。
これを受けて、情報公開・個人情報保護審査会が訴えの内容を審査、「開示すべき」との答申をしたことで、公文書の公開に至ったものである。13年8月に請求をしてから、15年9月に開示されるまで2年以上の月日が経過している。
