この本には「ボーデの法則」という、惑星の太陽からの平均距離を表す簡単な公式が紹介されていました。
そんなことから、サイエンスで物事を理解する二つの方法、つまり、ひとつの法則から複雑な現象を説明する「演繹的推理」と、多くの現象を総合してひとつの法則を導く「帰納的推理」があることを知ったのです。
要するに、世の中は複雑だけれども非常に単純な法則がそれを支配している、サイエンスを勉強すればそれが判る、ということに気づいたわけです。
――理科少年を経て、大学では化学科に進まれたわけですね。
和田氏:実は私は数学が苦手なのです(笑)。最初は物理学科に行きたいと思っていたのですが、どうも物理学科は数学の試験が危ない。それで大好きな化学実験が出来る東大理学部の化学科に入りました。しかしやはり物理学に魅かれて、境界領域の学問である物理化学を専攻することにしたのです。当時、物理化学には3つの講座がありましたが、その中で最も若くて新しい研究をされていた森野米三先生の研究室に入りました。
とにかく“人のやらないことをやる”というのが私の基本哲学なのです。というのも、大学に入ってからわかったことは、私の興味の対象はどうも他の人よりも広範囲に及んでいる。だから、特定の分野よりも自然科学全般を広く俯瞰して学びたい、と思ました。自然科学は自然現象を対象とする学問ですが、その中には当然人間も含まれるので、人間社会のことを省くわけにはいかない。そうなると将来は、技術も含めて横断的に研究できる境界領域に進みたいと考えた次第です。
それに私の場合、一直線に並んでスタートして、人の背中を見て走るよりは、人と違う新たな道を見つけて、ゴーイングマイウェイがいいだろうと思っていました。
卒業後は幸い助手に採用されたのですが、当時の森野研には優秀な人間が多く、その人たちと競争しても勝てそうになかった。また研究内容も精密すぎて、私にはあまり興味が持てませんでした。このまま森野研に居座っては先生にご迷惑をかけるばかりだと思い、新しいチャレンジをしようと考えた。それにはアメリカへ行こう、と1954年にハーバード大学に留学し、博士研究員―いわゆるポスドク(ポストドクトラルフェロー)―として3年近く過ごしました。
ハーバードでは、DNAやタンパク質という生体高分子に関わる研究をしました。一方に分子があって、一方に生物全体がある。その間を結ぶ分子レベルの、全く新しいコンセプトに基づいた研究です。