2025年12月5日(金)

「永田町政治」を考える

2025年7月22日

続投宣言、過去にはきびしい結果も

 過去、選挙に敗れた首相が居座ったケースはいくつかみられる。2007年、第1次安倍晋三政権の参院選がなお、記憶に新しい。

 この選挙で自民は改選64議席に対し当選37議席にとどまった。安倍首相(当時)は続投を宣言したものの、政権浮揚はならず、結局2カ月後に体調不良を理由に退陣に追い込まれた。

 古いところで想起されるのは、1979年秋の総選挙だ。大平正芳首相(同)は、不人気を承知で大型間接税の必要性(当時は消費税導入前)を訴えて戦ったが、理解得られず議席大幅減、追加公認によってかろうじて過半数を確保した。

 首相の続投への反発は強く、大平氏と退陣要求の急先鋒だった福田赳夫前首相(福田康夫元首相の父)の2人が首相指名選挙に立つという前代未聞の事態に発展した。

 今でも語り草になっている「40日抗争」だが、これが尾を引いて翌年、内閣不信任案が可決され、初の衆参同日選のさなかに大平首相が急死。選挙では自民党が大勝するという劇的な展開をたどった。

 83年暮れの総選挙で敗北した中曽根康弘首相(同)は、不安定な政局運営を強いられたが、86年、いったんは断念したそぶりを見せて、意表をついて衆院の解散を断行。予定されていた参院選との2回目の同日選で大勝した

 「死んだふり解散」と揶揄されたが、これによって中曽根氏の総裁任期が1年延長され、その任期は5年間にわたった。

 昨年秋に自民党総裁就任した石破首相は、「国民の信任を問う」と臨んだ昨秋の総選挙で大敗したのだから、本来、その時点で身を処すべきだった。今回もまた、過半数割れしてまで総理の椅子にしがみつくは、摩訶不思議な神経、見苦しいというほかはない。

 米紙ニューヨーク・タイムズは、選挙前、自民党敗北の場合、石破首相が抜き打ち的に衆院を解散する可能性を伝えた。それは現実味に欠けるとしても、権力にある者、出処進退を誤れば醜態をさらすことに思いを致すべきだろう。


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