2025年12月5日(金)

トランプ2.0

2025年7月30日

 ドナルド・トランプ米大統領(以下、初出以外敬称および官職名等略)が4月2日(現地時間 以下同)、ホワイトハウスで貿易相手国に対する追加関税をまとめたパネルを見せてから、約3カ月と20日を経て、日米関税交渉は7月22日、合意に至った。

 その間、日本政府の交渉者である赤澤亮正経済再生担当大臣は、米国側の交渉チームを主導したスコット・ベッセント財務長官、ハワード・ラトニック商務長官、ジェイミーソン・グリア通商代表部(USTR)代表と精力的に交渉を重ねてきた。最終的に合意に至ったのは、トランプの判断であるが、それまでの交渉過程において、彼とベッセントは、交渉期限に関して一致していなかった。また、ベッセントとラトニックは、過去の経緯から微妙な関係にある。

 以下では、4カ月弱にわたった日米関税交渉から見えてきた3人――トランプ、ベッセントとラトニック――の関係について述べる。また、トランプは、歴史の中でどのように評価されたいのか、関税措置と絡めて語る。

トランプ大統領を挟んで左がベッセント財務長官、右がラトニック商務長官(Anna Moneymaker/gettyimages )

2人の温度差

 日米が関税交渉で合意に至る直前、ビジネス専門チャネル米CNBCの番組に登場したベッセントは、トランプが設定した2回目の関税交渉の期限である「8月1日までに合意するよりも、質の高いディール(取引)の方が大事である」と述べ、タイミングよりも質を重視した。彼は、関税交渉において急がないというメッセージを送り、交渉期限の延長の可能性さえも示唆した。

 以前、ベッセントは、参議院選挙を控えた日本と関税交渉で合意をするのは困難であると語り、日本に配慮をにじませたメッセージを発信していた。以前から言われているが、彼は現実的で穏健派である一面を示した。

 トランプは「日本は甘やかされてきた」と批判し、米国産のコメと自動車の市場開放を強く求め、終始、強硬な態度を貫いた。参議院選挙で石破政権が敗北し、自民党と公明党が衆参両院で過半数割れになると、トランプは直感で、弱体化した同政権と関税交渉の合意をまとめる絶好の機会とみたのか、自身から動き、ホワイトハウスの執務室で、赤澤と直接交渉し、ディールをまとめた。明らかに、トランプはタイミングを優先させた。となると、トランプとベッセントの2人の間には、関税交渉の決着の時期において温度差があったと言える。

ベッセント対ラトニック

 この日米関税交渉には、もう1人重要なプレーヤーがいた。

 日本経済新聞(7月24日付)は、今回の日米関税交渉において「ラトニックルート」が突破口になったと報じた。同紙によれば、赤澤はラトニックと対面と電話協議を含め計15回、約19時間協議を行ったと言う。一方、ベッセントとは計7回、約8時間であった。

 日米両政府の間で合意が成立した直後、ラトニックは金融情報やニュースなどを提供するブルームバーグの番組に出演し、まず、日本が5500億ドル(約81兆円)の投資を行うことを取り挙げた。医薬品、半導体及び鉱物資源などに関するプロジェクトに対して、日本が投資を行い、プロジェクトから生まれた利益の90%を米国が、10%を日本が得ると、笑みを浮かべながら非常にシンプルに説明した。加えて、ラトニックによれば、プロジェクトの選択は米国が行う。

 番組の司会者は、このシステムを「革新的な融資のメカニズム(innovative finance mechanism)」と呼んだが、ラトニックは「自分のアイデアだ。1月に提案した」と明かし、自らの「手柄」であるという印象を視聴者に与えた。

 赤澤が交渉をした米国側の交渉チームのメンバーであるベッセント、ラトニック、グリアの3人が、果たして強固な一体性を持つチームであったのか、疑問が残る発言であった。

 そもそも、ラトニックとベッセントは財務長官のポジションを争って、最有力候補であったラトニックが敗れたと言われている。ラトニックが先行し、ベッセントが追い上げて逆転したということになる。

 仮に、ラトニックがベッセントに対して、ライバル心を持ち続けており、ポストベッセントを狙っているとすれば、今回の日米関税交渉の合意を自分の手柄としてアピールするのは理解できる。

 一方、ベッセントは、日本が関税交渉における合意を守らなければ、相互関税が15%から25%へ戻る可能性があると、日本に釘を刺して、やや強硬な発言をした。合意が実行に移されなかった場合、日米関税交渉を主導したベッセントが責任を問われることになる。これは予防的発言と考えられるが、ラトニックを意識した発言とも捉えることができる。


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